広階 貞雄(ひろしな の さだお)は、平安時代前期の貴族。名は真雄とも記される。氏姓は河原のち広階宿禰官位従五位上伊賀守

 
広階貞雄
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 不明
別名 真雄
官位 従五位上伊賀守
主君 文徳天皇清和天皇陽成天皇
氏族 河原→広階宿禰
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出自 編集

河原氏(河原蔵人・河原連)は曹植の後裔にあたる渡来氏族[1]、名称は河内国丹比郡丹比村大字河原城(現在の大阪府羽曳野市河原城)の地名に基づく[2]

経歴 編集

文徳朝において右大史を務め、この間の斉衡2年(855年)河原連から広階宿禰に改姓する。文徳朝末の斉衡4年(857年従五位下に叙せられるが、同年大炊頭玄蕃頭勘解由次官と短期間に官職を遷り、翌天安2年(858年美濃介として地方官に転じた。

清和朝貞観5年(865年)内位の従五位下左京権亮に叙任されて京官に復す。貞観7年(865年)左京亮に昇格するが、貞観9年(867年美作介に任ぜられ再び地方官に遷った。

その後、陽成朝では伊賀守を務め、元慶6年(882年)従五位上に至る。

官歴 編集

六国史』による。

脚注 編集

  1. ^ 『新撰姓氏録』河内国諸蕃
  2. ^ 佐伯[1994: 177]

参考文献 編集