庭田重資

鎌倉時代末期から南北朝時代。権大納言。

庭田 重資 (にわた しげすけ) は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿

 
庭田 重資
時代 鎌倉時代末期-南北朝時代
生誕 嘉元3年(1306年
死没 元中6年/康応元年8月13日1389年9月3日
官位 正二位権大納言参議
氏族 庭田家
父母 父:庭田茂賢
資子田向資蔭経有
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非参議庭田茂賢の子。官位は正二位権大納言庭田家3代。

経歴 編集

左近衛中将蔵人頭などを歴任し、建武4年/延元2年(1337年)参議延文4年/正平14年(1359年)正二位権大納言

娘の源資子崇光天皇後宮にはいり、初代伏見宮栄仁親王を生んだ。これ以降、代々の庭田家の女子は皇室及び伏見宮家に仕え、嗣子をもうけることとなる。

皇族との関わり 編集

庭田家は、皇族との関わりが深い。というのも、先述の資子に続いて、栄仁親王の息子の貞成親王と結婚し、後花園天皇伏見宮貞常親王(旧皇族11宮家の祖先)を産んだ幸子庭田経有の娘である。また、後土御門天皇(後花園天皇の子)と結婚し、後柏原天皇を産んだ朝子庭田長賢の娘で幸子は大叔母にあたる。現在の皇族にもその系譜は続いている。

系譜 編集

参考文献 編集