建御名方彦神別命(たけみなかたひこかみわけのみこと)は、民間伝承諏訪信仰)の

建御名方彦神別命

神祇 国津神
全名 建御名方彦神別命
別名 彦神別命、健御名方彦神別命、武水別命
建御名方神
八坂刀売神
庭津女神馬背神八須良雄命知努命沙南豆良姫命武彦根命
神社 健御名方富命彦神別神社など
関連氏族 千野氏諏訪氏洲羽国造
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鳥居
額「健御名方富命彦神別神社」は有栖川宮幟仁親王の筆。

概要 編集

延喜式』神名帳に記載される信濃国水内郡式内社名神大社)・健御名方富命彦神別神社の祭神とされ、建御名方神の長子と伝わる[1]

文献では、持統天皇5年(691年)に天皇の命で信濃国に「水内神」を祀らせたとする記述[2]があり、これが文献上初見とされる。『延喜式』神名帳に「水内神」の記載はないが、上記の通り健御名方富命彦神別神社が水内郡唯一の大社であることから、この「水内神」は健御名方富命彦神別神社を指すと考えられている。

一般に建御名方神と八坂刀売神御子神とされる。

明確に建御名方彦神別命を祀る神社は健御名方冨命彦神別神社 (長野市信州新町)だけであるが、健御名方富命彦神別神社 (飯山市)では御子神6柱を祀っている。

系譜 編集

建御名方神八坂刀売神を娶って生んだ子で、御子神に庭津女神馬背神八須良雄命知努命沙南豆良姫命(一説に佐那都良雄命)、武彦根命がいる。

後裔氏族 編集

子の智弩神(智努命)の後裔は千野氏になったとされる[注釈 1]

祀る神社 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 千野川明神 昭和四十年十一月十八日建立 齋神 智弩神 春祭三月二十六日・秋祭十月十五日 神系 建御名方命 御名方彦神別命 智弩神 茅野村ノ遠祖ニシテ茅(千)野氏ノ苗字懸明神ナリ...[3]

出典 編集

  1. ^ 延川和彦「修補諏訪氏系図」『諏訪氏系図.正編』飯田好太郎、大正10年、14頁。
  2. ^ 『日本書紀』持統天皇5年8月23日条。
  3. ^ 茅野光英寄進「千野川明神跡(石碑)」、昭和40年。

関連項目 編集