影狩り』(かげがり)は、1972年6月10日に公開された日本映画。『週刊ポスト』に連載されていたさいとう・たかをの劇画『影狩り』を舛田利雄が映画化した[1]、アクション時代劇映画[2]

影狩り
監督 舛田利雄
脚本 池上金男
製作 石原裕次郎
奥田喜久丸
小林正彦
出演者 石原裕次郎
内田良平
成田三樹夫
音楽 石原裕次郎
広瀬健次郎
撮影 金宇満司
編集 渡辺士郎
製作会社 石原プロモーション
配給 東宝
公開 日本の旗 1972年6月10日
上映時間 90分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
次作 影狩り ほえろ大砲
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概要 編集

原作者のさいとうは映像化にあたり、誰が室戸十兵衛に適しているか考えていたが、ある日、病み上がりの石原裕次郎の姿を見て、男の哀愁のようなものを感じ、暗い過去を持つ十兵衛の悲しみや哀愁を表現出来るのは石原しかいないと思った。自ら石原のもとを赴くと、原作を読んでいた石原はすぐに出演を承諾したという[3]

月光役には丹波哲郎が予定され、既に丹波も同席してマスコミに向けた製作発表も行われたが、丹波はスケジュールを空けられなくなり、成田が演じることになった[4][3]。また、田沼意次役で出演するはずであった石原慎太郎は、政治活動が多忙になり出演できないことになり、出番の少ない田沼役ならば出演可能ということで、丹波が田沼を演じることになった[4][3]。さいとうは石原、内田、成田という3人のキャスティングがとても良かったと後に話した[5]

元々、石原も乗り気であり、続編の製作も視野に入れられていたが、特に男性の観客から受けがよく、興行成績も良かったため続編の製作がすぐに決定した[3]

あらすじ 編集

財政難もあり徳川幕府権力が衰えたことから、老中田沼意次は外様大名などを改易し幕府の財政を潤すべく、影と恐れられる隠密を送った。一方で、かつて影により改易に追い込まれた藩の浪人である室戸十兵衛、日光、月光の3人の男たちは諸藩に金で雇われ、影の抹殺を請け負う「影狩り」になり田沼の隠密と各地で死闘を懲り広げていた。田沼の次のターゲットは、金山開発に力を注いでいる貧しい出石藩であった。そこで出石藩は影狩りを雇う。

配役 編集

[6]

スタッフ 編集

評価 編集

観客の受けが良かった一方で[3]、あらすじが東映製作の『忍者狩り』に類似していたという指摘もあった[7]若山富三郎は、こんな作品は時代劇ではないと評していた[7]。また、裕次郎の殺陣が冴えないと評価された[8][9]。一方、成田の演技は高く評価されている[8][9]

その他 編集

この映画の撮影現場に、後に『太陽にほえろ!』を製作するプロデューサーらが訪れ、石原と直接出演交渉、監督を務めた舛田は石原に「石原プロは経済的にも厳しいのだから、それを考えて出演してみてはどうか」と『太陽にほえろ!』への出演を勧めたという[3]

併映作品 編集

脚注 編集

  1. ^ デジタル大辞泉プラス「影狩り」の解説”. KOTOBANK. 2022年8月12日閲覧。
  2. ^ 影狩り”. 文化庁 日本映画情報システム. 2022年8月12日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 『映画にかけた夢 石原プロモーション58年の軌跡』 石原裕次郎・渡哲也(週刊朝日ムック)p.51-53
  4. ^ a b 舛田利雄、佐藤利明、高護 『映画監督 舛田利雄 アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて』ウルトラ・ヴァイヴ、2007年、260-261頁。ISBN 978-4-401-75117-4
  5. ^ 映画にかけた夢 石原プロモーション58年の軌跡 石原裕次郎・渡哲也 週刊朝日ムック p.73-74
  6. ^ クレジットは東宝公式サイト掲載に従う
  7. ^ a b 石原裕次郎を完全に食った断トツの演技! 「影狩り」page2”. IZA. 2022年8月12日閲覧。
  8. ^ a b 石原裕次郎を完全に食った断トツの演技! 「影狩り」page1”. IZA. 2022年8月12日閲覧。
  9. ^ a b 原作劇画そのままの風貌! 成田三樹夫に心ときめく春日太一の木曜邦画劇場 page”. 文春オンライン. 2022年8月12日閲覧。

外部リンク 編集