金宇満司

日本の撮影技師 (1933-2022)

金宇 満司(かなう みつじ、1933年3月19日 - 2022年10月27日)は、日本の映画カメラマン松本市出身[1]

経歴

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長野県東筑摩郡里山辺村(現松本市)出身。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、1953年東京写真短期大学卒業後、岩波映画製作所に入社。数多くの作品にて撮影技師として活躍し、1967年に退社。

1970年芸術選奨新人賞三浦賞受賞。

1971年石原プロモーションに移籍。以降、石原プロモーション作品のカメラマンとして数多くの作品で活躍する傍ら、専務の小林正彦と共に常務として石原プロの経営を支える。

2005年石原プロモーションを定年退職。それを機に2006年、晩年の石原裕次郎の看病に専念した日々の回顧録である『社長、命。』(イースト・プレス)を上梓。

2022年10月27日菌血症のため死去[2]。89歳没。

作品

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映画

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テレビ

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参考文献

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脚注

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  1. ^ 金宇満司さんが死去 映画「黒部の太陽」などの撮影監督:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2022年10月31日). 2023年4月11日閲覧。
  2. ^ "金宇満司氏死去「黒部の太陽」などの映画撮影監督". 産経ニュース. 産経デジタル. 31 October 2022. 2022年10月31日閲覧