必勝ホームランワイド 有楽町で逢いましょう
『必勝ホームランワイド 有楽町で逢いましょう』(ひっしょうホームランワイド ゆうらくちょうであいましょう)は、ニッポン放送で放送されていた平日夜のラジオワイド番組。1977年10月4日開始、1978年3月31日終了。
必勝ホームランワイド 有楽町で逢いましょう | |
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ジャンル |
トーク番組 バラエティ番組 |
放送期間 | 1977年10月4日 - 1978年3月31日 |
放送時間 | 月曜 - 金曜 18:00 - 20:00 |
放送局 | ニッポン放送 |
パーソナリティ |
野末陳平(月曜) 金田正一(火曜) 坂本九(水曜) 玉置宏(木曜) 和田アキ子(金曜) |
出演 | 深澤弘(ニッポン放送アナウンサー。前期) |
テーマ曲 | 『ロッキーのテーマ』(作曲:ビル・コンティ、編曲:メイナード・ファーガソン) |
ディレクター | 市川光興 他 |
概要
編集プロ野球のナイターオフシーズンで『ニッポン放送ショウアップナイター』の放送の無い時期限定のワイド番組。前年度1976年度の平日ナイターオフ編成は18時台、19:00〜19:30枠、19:30〜20:30枠と分かれていた[1]が、本年度から編成が変わって18:00〜20:00枠の2時間ワイドがスタート、本番組はその第一弾となった。この18:00〜20:00枠を基本とした平日ナイターオフワイド番組は、1988年度の『巨匠・高田文夫のラジオで行こう!』まで続いた。
オープニングは『ショーアップナイター』のパロディで、場内アナウンサーの「(打順)、(ポジション)、(今日のパーソナリティ)、(背番号)」[注釈 1]の後、『ショーアップナイター』メイン実況アナ・深澤弘(当時:ニッポン放送アナウンサー)の実況→打球音→ホームラン(『ショーアップナイター』ジングル付き)と続け、最後はタイトルコール「(パーソナリティ)[注釈 2]の必勝ホームランワイド」となる。しかし後期からは『ショーアップナイター』パロディは廃止され、いきなりタイトルコールに変更された[注釈 3]。
番組内のコーナーの中では、当時現役の読売ジャイアンツ監督だった長嶋茂雄がホスト・聞き手役としてレギュラー出演していた『長島茂雄のガッツ対談』が話題になった[2]。また毎日19:00からの『王選手物語』の他、前年度1976年度ナイターオフの平日19:00〜19:30枠で放送されていた『ジャイアンツ・アワー』[注釈 4]からジャイアンツの情報や企画のコンセプトを受け継いだコーナーが本番組でも行われ、ジャイアンツファン寄りの企画が多くあった[3]。また。なおジャイアンツ企画の各コーナーは後期の1978年1月からプロ野球全般を扱う企画に変更されたためコーナー名も改題された[3]。
オープニングテーマ
編集『ロッキーのテーマ』
- 作曲:ビル・コンティ
- メイナード・ファーガソンバージョンを使用。
パーソナリティ
編集主なコーナー
編集(出典:[3])
脚注
編集注釈
編集- ^ 野末:「1番、ファースト、野末陳平、背番号1」、金田:「4番、ピッチャー、金田正一、背番号34」、坂本:「3番、ライト、坂本九、背番号9」、玉置:「7番、サード、玉置宏、背番号8」、和田:「9番、セカンド、和田アキ子、背番号3」
- ^ フルネームは玉置のみで、あとの4人は愛称(陳平、金やん、九ちゃん、アッコ)。
- ^ 前期でもパーソナリティ(主に野末)が都合で出られず、代わりのパーソナリティが出演した際には行わなかった。
- ^ ジャイアンツ・アワーは、月曜『栄光の巨人軍物語』、火曜『巨人・阪神ライバル合戦』、水曜『モシモシこちらジャイアンツ』、木曜『金やんの天下一対談』、金曜『栄光のジャイアンツ』の、日替わりの各企画で放送されていた[1]。
- ^ 当時は現役のロッテオリオンズ監督だった(1978年シーズンまで)。
- ^ 本番組終了直後の1978年4月3日から、同じニッポン放送で自身がパーソナリティの番組『玉置宏の笑顔でこんにちは!』がスタートしている。
出典
編集ニッポン放送 月曜〜金曜 18:00〜20:00枠 (1977年度ナイターオフ) |
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
1977年度
必勝ホームランワイド 有楽町で逢いましょう |
1978年度
花の五大スター チャンピオン大放送 |