山口百恵

日本の女性歌手、女優 (1959-)

山口 百恵(やまぐち ももえ、1959年昭和34年〉1月17日[2][1] - )は、日本の元歌手、元女優。活動時の所属事務所はホリプロで、レコード会社はCBSソニーに所属していた。

やまぐち ももえ
山口 百恵
本名 三浦 百惠(みうら ももえ)
(旧姓:山口)
別名義 横須賀 恵(よこすか けい)
(作詞時のペンネーム)
生年月日 (1959-01-17) 1959年1月17日(65歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都渋谷区恵比寿
出身地 日本の旗 日本 神奈川県横須賀市[1]
身長 158 cm
血液型 A型
職業 元アイドル歌手、元女優キルト作家
ジャンル テレビドラマ
映画
歌謡曲
活動期間 1973年 - 1980年
配偶者 三浦友和(1980年 - )
著名な家族 三浦祐太朗(長男)
三浦貴大(次男)
牧野由依(義娘)
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本名:三浦 百恵(みうら ももえ、旧姓:山口)。現役時代にはペンネームの「横須賀恵」で自曲の作詞を行い、芸能界引退後には本名の三浦百恵名義で他の歌手への作詞を行っている。夫は俳優の三浦友和、長男はシンガーソングライター・俳優の三浦祐太朗、次男は俳優の三浦貴大。長男の妻は声優・歌手の牧野由依

以下、氏名の表記は特記を除き「百恵」で統一する。

略歴 編集

生い立ち 編集

東京都渋谷区東京都立広尾病院で生まれた。[2][3]横須賀市立鶴久保小学校卒業。横須賀市立不入斗中学校[4]時代に、スター誕生!に出場。日出女子学園高等学校卒業。

父親には別の家庭があり、子供もいた。戸籍には「認知」の2文字が置かれていた。百恵がこの事実を知ったのは、高校へ入学してすぐだった。既に芸能界入りしており、週刊誌が戸籍謄本を「出生の秘密」と題して掲載した。百恵は父について「私には、父はいない。一つの肉体としてのあの人が地球上に存在していたとしても、私はあの人の存在そのものを否定する。」(『蒼い時』)と記している。幼少時を神奈川県横浜市瀬谷区、4歳のときから中学生でデビューするまで横須賀市で過ごした。世帯数4世帯の木造アパートの2階が住居で風呂は共同風呂であった。父が来るときは、常に大きな黒い鞄を持ってやってきて滞在した。父は異常なまでに百恵を可愛がり、欲しいものは何でも買い与え、どこへでも行きたい場所に連れて行った。しかし、金銭的にルーズで、母が何度も裏切られる場面を目にするようになり、母の内職により生活を支えるようになっていった。母は、高校の入学金の工面を父に相談したが、受け入れられなかったことから、子供を差別したという理由で父との別離を決心した。中学校の入学直前の春には、父が目の前に立ちはだかり、「中学に入ったからといって、ボーイフレンドとか何とか言って、男と腕でも組んで歩いたりしたらぶっ殺すからな」と言われる。この時の、娘を娘としてでなく自分の所有する女を見る動物的かつ不潔な視線が百恵を父から隔絶した[5]

芸能界デビュー 編集

1972年12月、オーディション番組『スター誕生!』で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い準優勝[5]20社から指名を受ける。百恵はこのとき「発表を聞く前に、私は歌手になれることをはっきり確信していた」という。同番組への応募のきっかけは、同い年の森昌子がテレビで活躍しているのを見て「自分も森昌子さんのようになりたい」と思ったことだった。この決戦大会出場時の映像は現存していない。なお、後に「花の中三トリオ」を組むことになる桜田淳子も、同年に同じ『スター誕生!』で牧葉ユミの曲「見知らぬ世界」を歌って合格していた。

1973年4月14日、映画『としごろ』に出演し、5月21日に同名の曲でアイドル歌手としてもデビュー。森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた。デビューのキャッチコピーは「大きなソニー、大きな新人」。1973年5月20日、デビュー曲の発売される前日にさいか屋横須賀店の屋上にあるステージで、地元でのお披露目として「としごろ」を歌う。デビュー曲の「としごろ」は、スタッフの期待以下のセールスに止まったため、第2弾の「青い果実」ではイメージチェンジを図り、大胆な歌詞を歌わせる路線を取った。それは1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲くこととなった。これは「青い性路線」(「性典ソング」)と呼ばれるようになり[5]、年端のいかない少女が性行為を連想させるような際どい内容を歌うという、この「青い性」路線で百恵は絶大な人気を獲得することになる。

「ひと夏の経験」を歌っていた時期のインタビューでは「女の子の一番大切なものって何だと思いますか」とたいてい質問されたが、百恵は全て「まごころ」で通していた[5]。歌詞の内容は際どかったが、辺見マリ夏木マリ、あるいは1970年代に復活した山本リンダなどのセクシー路線の歌手と違い、百恵は年齢が低くビジュアル面では純朴な少女というイメージだった。歌とビジュアルのギャップ、それに伴うある種の背徳感が、百恵の人気を独特なものにしていったと言われる。これは百恵の芸能人としての資質によるだけではなく、所属事務所やレコード会社による周到なイメージ戦略の賜物でもあった。CBSソニーのプロデューサー酒井政利は「青い果実」をリリースする際、作詞家の千家和也に対して「より過激な表現」を求めつつ、「中学生にこんな歌詞を歌わせていいのか」と自問したものの、「ストレートに表現することも一つの行き方だ」と思い直したという。その後、千家・都倉コンビが作った楽曲は45曲に及ぶ。

小西良太郎は「大人たちに言わせれば、いたいけな中学生が、口にするだけでもドキドキしそうな歌を歌う。けしからん!もってのほかだが、少々うすぐったい。天地真理アグネス・チャンらの、そぞろ恋を恋する季節の歌が、年相応に明るくて、健康的で、ほほえましかった。ところが、そんな優等生型ニコニコポーズに飽きがきたところで、見回したら、百恵の青いセクシーさが、急に説得力を持ってきた」などと評した[6]

同曲が大ヒットした1974年には文芸作品の名作『伊豆の踊子』に主演し、演技でも評価を得る。この映画で共演した相手役の三浦友和とはグリコプリッツCMでこの年の夏に共演済であった。『伊豆の踊子』は一般公募で相手役を募集したが、このグリコCMを観た『伊豆の踊子』の監督・西河克己が最終選考の中に三浦の書類を入れたと言われている。三浦とはその後もテレビドラマやCMでも共演して共に絶大な人気を博し、2人は「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。

百恵の映画初出演はレコードデビュー前にホリプロが制作した『としごろ』(和田アキ子、森昌子主演)で、新人の顔見せとしての出演だったが、『伊豆の踊子』以降、映画13作で主演。そのうち12作は三浦との共演である。「映画に関するかぎり製作者は彼女をリメイク女優以上に認識していなかった。にもかかわらず西河は『霧の旗』で、驚異的なまでのファム・ファタールぶりを彼女に演じさせた」[7]。しかし1978年にはファンからの声の大きかった初のオリジナル作品『ふりむけば愛』がコンビ出演のグリコCMを撮り続けていた大林宣彦監督の演出で製作され、翌年にもコンビ主演10作品記念としてオリジナル作品『ホワイト・ラブ』が小谷承靖監督で製作された。なお、これらの映画は東宝配給ながらすべて日活撮影所で製作され、監督やカメラマンも西河ら日活出身者が大部分を占めることもあり、往年の日活青春映画、文芸映画の後継的な意味合いも持っている。東宝の監督である小谷や河崎義祐が担当した場合も、また、最後の引退記念作品『古都』もやはり日活製作であり、東宝からカメラマンの長谷川清ら数名のスタッフを連れて20年ぶり(発足の最初期に短期間在籍)に日活撮影所に乗り込んだ市川崑監督は、馴染みの薄いスタッフを粘りに粘って叱咤し引退作を撮りあげた。市川は以前に何度か自分の作品に百恵の出演を依頼していたが、ホリプロサイドから断られており、この最後の作品で監督を務める喜びを制作記者会見で語っている。

テレビドラマでの初レギュラー出演は1973年10月スタート、大映テレビ制作TBS系の「顔で笑って」。この作品で宇津井健との親子役が始まり、以降宇津井健を公私共に「お父さん」と慕った。1974年10月からはTBSのテレビドラマ『赤いシリーズ』(いわゆる大映ドラマ)に主演し、『赤い疑惑』『赤い衝撃』では三浦友和と共演。高い人気を集め、シリーズは6年にも及び、百恵のレギュラー出演作品は『赤い絆』引退記念作品の『赤い死線』まで6作品にもなった人気ドラマとなる[1]

1976年リリースのシングル『横須賀ストーリー』から阿木燿子宇崎竜童夫妻の作品を歌って新境地を開いた。なお実際にはそれ以前にも、『横須賀ストーリー』の2か月前に発売されたオリジナル・アルバム『17才のテーマ』に収録の「木洩れ日」「碧色の瞳」「幸福の実感」の3曲で宇崎夫妻の提供曲を歌っている。その後、宇崎夫妻の提供曲はシングル、アルバムを合わせると69曲に及んだ。宇崎夫妻が手掛けた作品は大ヒットの連続で、百恵の世界を決定的に形作った。この2人を作家として指名したのは周囲のスタッフではなく百恵本人だった。

1977年日本武道館で行われた第6回東京音楽祭で外国人アーティストが多数出演・受賞する中、日本人歌手として楽曲「夢先案内人」で銅賞を受賞した。

1978年の『第29回NHK紅白歌合戦』で紅組トリを務める。白組の沢田研二と共にポップス歌手のトリは番組初のことで、10代の歌手が紅白のトリとなったのも百恵が初で、最年少記録は破られていない。ホリプロが東京都目黒区に建てた自社ビルは、百恵の成功によるところが大きいことから「百恵ビル」と呼ばれることもある。

1979年には、評論家の平岡正明が『山口百恵は菩薩である』を著すなど、多くの文化人に「現代を象徴するスター」として語られた。写真家の篠山紀信は百恵のデビュー当時から被写体として何万枚も撮り続けたが、たびたび印象的な写真を発表して注目を集めた。1970年代に篠山が最も多く撮影した女性は百恵であるが、篠山は「それは時代が山口百恵を必要としていたから」として、百恵を「時代と寝た女」と評した[1]

年代別プロマイド(ブロマイド)売上では、1974年 - 1980年のベスト10にランクインし、特に1976年は女性1位となった。

人気作詞家だった阿久悠は『スター誕生!』の審査委員長を務めていたが、同番組出身である百恵のソロ楽曲には作品を一切提供していなかった。その理由のひとつとして「当時は桜田淳子に(詞を)書いていたから、同系統の歌手には書かないことにしていた」と阿久自身は述べている[8]。2008年に日本テレビ系で放送されたドラマ『ヒットメーカー 阿久悠物語』では、『スター誕生!』のテレビ予選で百恵に対して阿久が「青春ドラマの妹役のようなものならいいけれど、歌は諦めた方がいいかもしれない」と評したことで[5]、「そのことに傷ついた百恵は作品の提供を阿久に求めなかった」という話に脚色されているが、あくまでもドラマ上での脚色で、阿久自身は著書『夢を食った男たち』で、前述のオーディションでのエピソードについて記した上で、自身も百恵のファンであることと、百恵の魅力についても倉本聰との対談を差し挟んで語っている。

婚約、そして芸能活動を完全に引退へ  編集

1979年10月20日大阪厚生年金会館のリサイタルで「私が好きな人は、三浦友和さんです」と、三浦との恋人宣言を突如発表する。その後三浦も記者会見で「結婚を前提にして付き合っています」と語った。

そして、翌1980年3月7日には三浦との婚約発表と同時に、「我儘な…生き方を私は選びました。(中略)お仕事は全面的に引退させて頂きます」と芸能界引退を公表する。その一方で、迫り来る引退を視野に入れた形でのレコードのリリースや公演の予定を発表。1975年ザ・ピーナッツで始まり、1978年に解散のキャンディーズで定着した引退記念興行が大々的に展開されることになった。

引退直前の同年9月に刊行された自叙伝『蒼い時』は、複雑な生い立ち、芸能人としての生活の裏面に加え、恋愛や三浦との初体験についても赤裸々につづられており、発売から1か月で100万部を超え、12月までに200万部を超える大ベストセラーになった。巻末のあとがきには百恵自身の万年筆による手書き原稿が印刷されている。また、同書の仕掛け人である出版プロデューサーの残間里江子にも注目が集まった。写真撮影は立木義浩。引退後の翌1981年に文庫化されている。

1980年10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサートは、当日にTBSで生放送され、案内役は『ザ・ベストテン』の司会者である久米宏が担当した。会場に殺到したファンに対して「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」とメッセージを言い残し、そして最後の歌唱曲となった「さよならの向う側」で堪えきれずに、涙の絶唱となり、涙がこぼれても拭わずにあごから涙をぽたぽた落としながら歌った。歌唱終了後、ファンに深々と一礼をした百恵は、マイクをステージの中央に置いたまま、静かに舞台裏へと歩んで立ち去った[9]。この「最後にマイクを置く」という演出は振付担当の西条満の考案で、今では伝説的なアクションとして語り継がれ、さまざまな番組などで真似されている。

ファイナルコンサートの翌日である10月6日には、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)にて引退特集番組が放送された。司会者の芳村真理井上順のほか、百恵と同じホリプロ所属の先輩だった和田アキ子、中三トリオの桜田淳子と森昌子、女性歌手仲間として仲が良かったアン・ルイス岩崎宏美太田裕美小柳ルミ子高田みづえピンク・レディー、男性歌手では五木ひろし・沢田研二をはじめ「新御三家」の郷ひろみ西城秀樹野口五郎などが、百恵の最後の雄姿を見守った。そのほかにも、番組のフィナーレ前には五木ひろし研ナオコ沢田研二ら歌手仲間が登場、特にジュディ・オングから花束を受け取る際に百恵は感極まって涙を見せた。また、漫才コンビの青空球児・好児、プロデューサーの酒井政利やディレクターの川瀬泰雄ら仕事仲間の大勢も駆け付けた。この放送は後に『山口百恵 in 夜のヒットスタジオ』として2010年6月30日にDVDが発売されている。百恵と親しい間柄でもあった芳村はこの回の放送について、「いつもはスタッフ達の怒声も飛び交い、賑やかなスタジオであるはずが、この時はとても静かで、感動的だった」「番組の放送が終わった後も、皆去るのが辛く、VTRも回しっぱなしでお別れ会が続いた」と放送時のスタジオの様子を語っている。

現役歌手として最後のテレビ生番組出演は、10月13日放送の『山口百恵スペシャル ザ・ラスト・ソング』である。日本テレビNTV紅白歌のベストテン』の特別番組として放映された。

正式な芸能活動の完全引退は、10月15日のホリプロ20周年記念式典で、その時に歌った曲は「いい日旅立ち」である。式典の後同ホテル内において午後8時半過ぎに引退記者会見が開かれたが、記者の多さから開始直後に、前列にいた100名近いスチール用カメラマンと後方のビデオカメラマンとの間で揉める場面もあり、中断しかねない状態となった。この会見はこの当日放送された『水曜スペシャル特番 山口百恵 今夜 旅立ち!』(テレビ朝日)で番組の終わりに一部生放送され、これが芸能人として事実上最後のテレビ生出演となった。

引退時は21歳(22歳の誕生日の約3か月前)で、芸能人としての活動はわずか7年半ほどだった。引退までにシングルは31作の累計で1,142万枚、1970年代に最もレコードを売り上げた歌手であった[10]

オリコンシングルチャートにおいて、1973年6月4日付でデビューシングルの「としごろ」が75位に初登場してから1981年3月2日付で32枚目のシングルの「一恵」が96位にランクインするまで、405週連続で100位以内にチャートインし続けた[11]。オリコンアルバムチャート(レコードのみ)において、引退後の1989年時点でアーティスト別セールス13位(251万枚)、TOP10総登場週数16位、TOP100総登場週数11位、と70年代アイドル歌手(男女共に)では最も上位にランキングされている[12]

現役時代にはホリプロとの確執があり、『蒼い時』でも意見の相違により社長の堀威夫と衝突があったと振り返っている。当時の制作部長であった小田信吾とともに独立するつもりであったが、ホリプロ側が小田を説得して独立を阻んだため引退を決意したとの見解もある。もし独立が成功していれば三浦との結婚がなかったかもしれず、女優としてその後も活躍していた可能性があったとの見方もある[13]

結婚 編集

結婚式は1980年11月19日に、東京都港区赤坂の日本基督教団霊南坂教会にて飯清牧師を務め、披露宴は東京プリンスホテル・鳳凰の間で招待客1,800人が出席して行われた[14]。仲人は宇津井健夫妻で、友和側の主賓は東宝社長の松岡功(息子は松岡修造)、百恵側の主賓はCBSソニー会長の大賀典雄がそれぞれ務め、百恵の父親代わりはホリプロの堀社長が務めた。披露宴の司会はメインが岡田真澄、サブが徳光和夫(当時日本テレビアナウンサー)であった。

引退後 編集

引退後も常にマスコミやファンからの注目を集めているが、一貫して芸能界とは距離を置いており、原則としてマスメディアへの出演はしない。ただし、長男出産後の記者会見に三浦と共に出席したことはあるほか、『3時のあなた』(フジテレビ)より取材を受け、その模様が同番組で放映されたことがある。また作詞家として作品を提供したことがあり、1982年にアン・ルイスに提供した「ラ・セゾン」がヒットしている。

引退直後の1980年の『第31回NHK紅白歌合戦』では「人気アンケート」で4位だったため番組側は出演交渉を行ったが、本人からは「既に引退しましたので辞退します」との回答があり出場はなかった[15]2000年の『第51回NHK紅白歌合戦』、2005年の『第56回NHK紅白歌合戦』でも番組側は出演交渉を行ったというが出演はなかった。

家庭に入ってからは2人の息子をもうけた。2人が小学校に在学中だった1994年、テレビドラマ『スウィート・ホーム』(TBS)について「内容が事実と異なり、保護者に対する誤解を与えるため、内容の訂正と『お受験』という言葉の使用中止を求める」という趣旨の嘆願書が、小学校受験を行った保護者たちからTBSに送られた際には署名者の1人となっている[16]。それまでほとんど使われなかった「お受験」の語は、このドラマがきっかけで流行語になった。(小学校受験#批判も参照)。

1987年頃から独学でキルト製作を始め、のちにキルト作家の鷲沢玲子に師事して作品を作り続けている[17]。作品が「東京国際キルトフェスティバル」等の展示会に出品されることもあり、2019年には日本ヴォーグ社から三浦百恵名義でキルト作品集『時間の花束』を出版し、39年ぶりの著書となった[18]

自宅に不審者が押し入る事件も発生したが、大事もなく解決している。夫の三浦によれば、プライバシーが脅かされる生活に対し、百恵は「私は、これ以上芸能界にいたことを後悔したくない」と漏らしたという。長男の通園に備えて自動車教習所に通い始めた頃には、教習所の周りを百恵を狙ったカメラマンが囲んだため苦悩したという。夫が人権擁護局に助けを求めた翌日には、同局の注意喚起によりカメラマンは一人も来なくなった。しかし長男の入園式の時に同局に対応を要請した際は担当者に断られ、結局マスコミが自宅や幼稚園を取り囲む取材攻勢の中を強行突破する形となり[19]、さらには車内の子供に対し強引にレンズを向けたため子供が怯える騒ぎとなった。あまりの横暴に百恵は激怒、車を降りてカメラマンに平手打ちまでしたという。この出来事は翌週の週刊誌各紙に掲載された。

節目ごとに多くのベスト・アルバムが発売されている。デビュー30周年にあたる2003年には未発表曲1曲を含む24枚組CD-BOXMOMOE PREMIUM』が発売され、このヒットによりブームが再燃した。

1980年のシングル『謝肉祭』は、歌詞の中で連呼する「ジプシー」という言葉が差別用語であるとして、1990年代後半以降はレコード会社が発売を自粛した。このためベスト盤CDやファイナルコンサートのDVD『伝説から神話へ -BUDOKAN…AT LAST-』も不完全な形で発売されるようになった。しかし2005年5月25日発売の『コンプリート百恵回帰』(全曲新アレンジで構成)に収録されたのをきっかけに、2006年1月18日発売のライブCD-BOX『MOMOE LIVE PREMIUM』に納められたファイナルコンサートのCD及びDVDには「謝肉祭」を含むノーカット版が収録された。そして当時のシングル・バージョンも2007年7月20日発売の廉価版CD『山口百恵ベスト・コレクション VOL.2』に収録され、9月30日に『MOMOE PREMIUM』の改訂盤として通信販売限定で発売された『Complete MOMOE PREMIUM』および『MOMOE PREMIUM update』にも収録され完全復活を果たした。

引退25年・ホリプロ創立45年にあたる2005年、百恵の楽曲を使用したトリビュートミュージカル『プレイバックPart2〜屋上の天使』が上演された。

2020年6月、『女子SPA!』は同ウェブサイト上で、「去り際(引退)がいさぎよかった女性5選」の1人として百恵を選出して掲載した[20]

ストリーミング配信 編集

引退から40年を迎えた2020年5月29日、音楽サブスクリプションサービス上で、600曲以上の楽曲のストリーミング配信を開始した[21][22][23][24]

エピソード 編集

  • 郷ひろみは「アイドル時代にマネージャーや周囲の目を盗み、山口百恵に電話番号を渡したが相手にされなかった」と語っている。
  • 同じ横須賀市出身のシンガーソングライター渡辺真知子と親交があり、百恵の結婚式に渡辺真知子も出席している。
  • 新婚当時は友人をよく自宅に招いた[25]。招待されたのは桜田淳子岩崎宏美アン・ルイス桑名正博夫妻、江藤潤夫妻など[25]
  • お笑い番組が大好きで、新婚当時も『THE MANZAI』や『お笑いスター誕生!!』などをビデオで録画し、夫婦で何度も見ていた[26]。百恵の引退と漫才ブームの勃興は同時期に当たるが、漫才ブーム時はB&Bの大ファンで[25]、引退前はB&Bの名誉会員だった[25]。これを知ったB&Bの島田洋七が「百恵さんに歌ってもらいたい」と作詞をし、本人に歌唱を頼むつもりでいたが[25]百恵が引退してしまい、商魂逞しいトリオレコードがこれに目を付け[25]、作詞を洋七、作曲を森田公一に頼み、百恵に似た声を持つ歌手を探して歌入れし、1982年1月に歌・MOMOE名義で「恋愛専科」というレコードをリリースした[25]。レコードチラシには「数々のヒット曲を世に残して去って行ったモモエ、遂に彼女の未発表曲が発見された!!あの懐かしい歌声が再び甦る!」などと書かれた引っ掛け商法で[25]、声もそっくりで百恵と信じて買った人もいたといわれる[25]。また夫・友和とともにダウンタウンのファンであることを、長男・祐太朗がPeaky SALTとして2009年8月31日に放送されたダウンタウンが司会を務める『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ)に出演した際に述べている[注釈 1]
  • 長男・祐太朗の妻である牧野由依とはLINE友達である。2022年3月に息子夫婦に子供(百恵にとって初孫)が生まれた[27]
  • 映画監督の市川崑は、役者としての山口百恵を高く評価しており、山口が引退した後の書籍取材の中で「役柄が幅広く、それでいて奥行き深く、女優さんとして大成するんじゃないかと思っていました」「一緒に仕事をしてみると僕の想像以上でしたね。作品に対する姿勢もキチンとしていたし、表現力も完璧で、100点満点でした」と述べている[28]

音楽 編集

※最高位はオリコン調べ
※アルバム項目の*印欄はカセット未発売

シングル 編集

発売日 タイトル 最高順位 売上枚数 規格品番 収録アルバム
1 1973年5月21日 としごろ 37 6.7万枚 SOLB-29 としごろ
2 1973年9月1日 青い果実 9 19.6万枚 SOLB-68 青い果実/禁じられた遊び
3 1973年11月21日 禁じられた遊び 12 17.6万枚 SOLB-89
4 1974年3月1日 春風のいたずら 11 16.1万枚 SOLB-116 15歳のテーマ 百恵の季節
5 1974年6月1日 ひと夏の経験 3 44.6万枚 SOLB-144 15歳のテーマ ひと夏の経験
6 1974年9月1日 ちっぽけな感傷 3 43.2万枚 SOLB-172 15才
7 1974年12月10日 冬の色 1 52.9万枚 SOLB-197 16才のテーマ
8 1975年3月21日 湖の決心 5 24.9万枚 SOLB-229
9 1975年6月10日 夏ひらく青春 4 32.9万枚 SOLB-280 ささやかな欲望
10 1975年9月21日 ささやかな欲望 5 32.6万枚 SOLB-319
11 1975年12月21日 白い約束 2 35万枚 SOLB-353 17才のテーマ
12 1976年3月21日 愛に走って 2 46.5万枚 SOLB-401
13 1976年6月21日 横須賀ストーリー 1 66万枚 06SH-15 横須賀ストーリー
14 1976年9月21日 パールカラーにゆれて 1 47万枚 06SH-62 パールカラーにゆれて
15 1976年11月21日 赤い衝撃 3 50.4万枚 06SH-90
16 1977年1月21日 初恋草紙 4 24.1万枚 06SH-108 山口百恵
17 1977年4月1日 夢先案内人 1 46.8万枚 06SH-140 山口百恵
18 1977年7月1日 イミテイション・ゴールド 2 48.4万枚 06SH-182 GOLDEN FLIGHT
19 1977年10月1日 秋桜 3 46万枚 06SH-218 花ざかり
20 1977年12月21日 赤い絆 5 21.5万枚 06SH-250 THE BEST プレイバック
21 1978年2月1日 乙女座 宮 4 31.4万枚 06SH-257 COSMOS(宇宙)
22 1978年5月1日 プレイバックPart2 2 50.8万枚 06SH-331 ドラマチック
23 1978年8月21日 絶体絶命 3 37.6万枚 06SH-370
24 1978年11月21日 いい日旅立ち 3 53.6万枚 06SH-418 曼珠沙華
25 1979年3月1日 美・サイレント 4 32.9万枚 06SH-467 A Face in a Vision
26 1979年6月1日 愛の嵐 5 32.8万枚 06SH-529 春告鳥
27 1979年9月1日 しなやかに歌って 8 27.1万枚 06SH-579
28 1979年12月21日 愛染橋 10 22.1万枚 06SH-682
29 1980年3月21日 謝肉祭 4 28.6万枚 06SH-730 Star Legend 百恵伝説
30 1980年5月21日 ロックンロール・ウィドウ 3 33.6万枚 06SH-772 メビウス・ゲーム
31 1980年8月21日 さよならの向う側 4 37.9万枚 06SH-834 不死鳥フェニックス伝説
32 1980年11月19日 一恵 2 27.7万枚 06SH-894 N/A
33 1994年4月21日 惜春通り 34 3.1万枚 SRDL-3839 惜春 譜

オリジナル・アルバム 編集

タイトル 発売日 最高位 売上枚数 規格品番
1 としごろ 1973年8月21日 55 1.2万枚 SOLJ-80
2 青い果実/禁じられた遊び 1973年12月21日 26 4.1万枚 SOLL-57
3 15歳のテーマ 百恵の季節 1974年4月21日 7 5.3万枚 SOLL-65
4 15歳のテーマ ひと夏の経験 1974年8月1日 3 7.8万枚 SOLL-75
5 15才 1974年12月10日 8 5.6万枚 SOLL-114
6 16才のテーマ 1975年5月1日 3 6.7万枚 SOLL-141(LP)
SZLH-36(8トラック)
SKLB-47(CT)
7 ささやかな欲望 1975年12月5日 15 4.7万枚 SOLL-195
8 17才のテーマ 1976年4月21日 2 7.7万枚 SOLL-213
9 横須賀ストーリー 1976年8月1日 3 7.3万枚 25AH-48(LP)
28YH-33(8トラック)
24KH-33(CT)
10 パールカラーにゆれて 1976年12月5日 6 5.4万枚 25AH-124(LP)
28YH-87(8トラック)
24KH-87(CT)
11 百恵白書 1977年5月21日 3 6.4万枚 25AH-199(LP)
28YH-137(8トラック)
25KH-137(CT)
12 GOLDEN FLIGHT 1977年8月21日 3 5.6万枚 25AH-250(LP)
28YH-179(8トラック)
25KH-179(CT)
13 花ざかり 1977年12月5日 7 5.6万枚 25AH-371(LP)
28YH-234(8トラック)
25KH-234(CT)
14 COSMOS(宇宙) 1978年5月1日 8 4.3万枚 25AH-424(LP)
25KH-295(CT)
15 ドラマチック 1978年9月1日 6 10.3万枚 25AH-550(LP)
25KH-390(CT)
16 曼珠沙華マンジューシャカ 1978年12月21日 7 13.4万枚 25AH-662(LP)
25KH-460(CT)
17 A Face in a Vision 1979年4月1日 3 8万枚 25AH-673(LP)
25KH-477(CT)
18 L.A. Blue 1979年7月21日 2 8.7万枚 25AH-769(LP)
25KH-573(CT)
19 春告鳥 1980年2月1日 5 9.4万枚 25AH-928(LP)
25KH-711(CT)
20 メビウス・ゲーム 1980年5月21日 5 8万枚 25AH-974(LP)
25KH-749(CT)
21 不死鳥フェニックス伝説 1980年8月21日 6 9.2万枚 38AH-1039/40(LP)
38KH-846(CT)
22 This is my trial 1980年10月21日 4 8.6万枚 27AH-1112(LP)
27KH-860(CT)

テープのみの企画盤

タイトル 発売日 最高位 規格品番 備考
1 青い果実・禁じられた遊び 1973年12月5日 N/A SZLF-35(8トラック)
SKLD-10(CT)
としごろ」と表題シングルのA面・B面6曲に、LP『としごろ』より6曲の全12曲
2 春風のいたずら 1974年3月21日 N/A SZLH-6(8トラック)
SKLB-10(CT)
表題シングルのA面・B面、LP『青い果実/禁じられた遊び』より9曲、
LP『としごろ』より1曲の全12曲
3 ちっぽけな感傷・ひと夏の経験 1974年9月1日 13 SZLH-14(8トラック)
SKLB-17(CT)
表題シングルのA面・B面、LP『15歳のテーマ ひと夏の経験』より8曲の全12曲
4 CT 『ささやかな欲望/白い約束』 1975年12月21日 9 SZLH-49(8トラック)
SKLB-76(CT)
LP『ささやかな欲望』に「白い約束」を加え、「ありがとう あなた」をカット

ベスト・アルバム 編集

タイトル 発売日 最高位 規格品番
1 山口百恵ヒット全曲集 -1974年版- 1974年11月1日 6 SOLL-107
2 DELUXE SERIES 山口百恵デラックス 1975年6月1日 21 SOLI-56/7
3 Best Hits 山口百恵ヒット全曲集 1975年11月1日 10 SOLL-170
4 Best of Best 山口百恵のすべて 1976年6月1日 26 38AH-9/10
5 Best Hits 山口百恵ヒット全曲集 1976年11月1日 7 25AH-81
6 山口百恵 1977年6月21日 15 38AH-217/8
7 THE BEST 山口百恵 -百恵物語- 1977年11月1日 12 25AH-301
8 THE BEST プレイバック 1978年6月21日 3 25AH-521
9 THE BEST 山口百恵 1978年11月1日 9 38AH-591/2
10 ザ・ベスト 山口百恵 1979年6月21日 8 25AH-744
11 THE BEST 山口百恵 1979年11月1日 22 40AH-831/2
12 Star Legend 百恵伝説 1980年7月21日 3 00AH-1021/5
13 歌い継がれてゆく歌のように '73〜'77 1980年12月21日 60 40AH-1167/8
13 歌い継がれてゆく歌のように '78〜'80 44 40AH-1169/70
14 THE BEST Again 百恵 1981年11月1日 - 28AH-1342
15 Again 百恵 あなたへの子守唄 1982年7月1日 13 28AH-1435
30AH-1222
16 PLAYBACK MOMOE 1973-1982 1982年11月21日 - 60AH-1486/8
17 33 SINGLES MOMOE 1983年11月21日 - 60DH-51
18 3650 Momoe 百惠十年 1983年12月21日 - 60AH-1683/5
19 山口百恵ベスト・コレクション 1985年4月21日 -
20 百恵復活 1992年2月21日 12 SRCL-2311/2
21 百恵回帰 1992年11月21日 49 SRCL-2512
22 歌い継がれてゆく歌のように -百恵回帰II- 1993年1月21日 82 SRCL-2558
23 百恵・アクトレス伝説 1993年10月1日 - SRCL-2742
24 惜春 譜 1994年7月21日 60 SRCL-2955
25 百恵クライマックス 1994年12月1日 - SRCL-3110/1
26 山口百惠ベスト・コレクション〜横須賀ストーリー〜 1995年2月1日 -
27 百惠辞典 1995年8月2日 73 SRCL-3281/3
28 山口百惠ベスト・コレクションII 〜いい日旅立ち〜 1995年9月1日 -
29 ベスト・セレクション Vol.1 1997年7月21日 - SRCL-3989
30 ベスト・セレクション Vol.2 - SRCL-3990
31 GOLDEN J-POP/THE BEST 山口百惠 1997年11月21日 243 SRCL-4117/8
32 2000 BEST 山口百恵 ベスト・コレクション 2000年6月21日 202 SRCL-4827
33 GOLDEN☆BEST 山口百恵 PLAYBACK MOMOE part2 2002年6月19日 114 MHCL-109/10
34 コンプリート百恵回帰 2005年5月25日 161 MHCL-10078/9
35 赤いシリーズ シングル・コレクション 2005年10月19日 237 MHCL-638
36 山口百恵ベスト・コレクション VOL.1 2007年7月20日 -
37 山口百恵ベスト・コレクション VOL.2 -
38 MOMOE PREMIUM update 2007年9月30日 - DQCL-1385/6
39 GOLDEN☆BEST 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション 2009年8月19日 60 MHCL-20053/4(完全生産限定盤)
MHCL-1569/70
GOLDEN☆BEST orikara 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション 2011年1月26日 - MHCL-1845/6
40 GOLDEN☆BEST 山口百恵 アルバム・セレクション 2013年5月22日 116 MHCL-2270/1
41 ゴールデン☆アイドル 山口百恵 2015年2月11日 38 MHCL-30295/8
42 GOLDEN☆BEST 山口百恵 日本の四季を歌う 2017年5月24日 129 MHCL-30456/7
43 GOLDEN☆BEST MOMOE DISCO & SOUL 2023年11月8日 - MHCL-30920

テープのみの企画盤 編集

タイトル 発売日 最高位 規格品番
1 山口百恵ベスト・ヒット 1974年12月10日 3 SZLK-27(8トラック
SKLI-26(CT
2 山口百恵のすべて 1975年7月1日 4 SZLK-42(8トラック)
SKLI-42(CT)
3 山口百恵全曲集 1976年4月1日 3 SZLK-59(8トラック)
SKLI-59(CT)
4 山口百恵全曲集 1976年11月1日 2 36YH-60(8トラック)
34KH-60(CT)
5 山口百恵 テレビ・映画主題歌集 1976年12月5日 - 24KH-93
6 山口百恵ベスト・ヒット 1977年4月1日 1 28YH-108(8トラック)
25KH-108(CT)
7 山口百恵全曲集 1977年11月1日 3 36YH-207(8トラック)
34KH-207(CT)
8 PLAY CASSETTE SPECIAL 1978年3月1日 27 10KH-271
9 プレイバック 山口百恵ベスト・ヒット 1978年6月21日 - 28YH-300(8トラック)
25KH-300(CT)
10 山口百恵ヒット全曲集 1978年11月1日 3 36YH-401(8トラック)
34KH-401(CT)
11 THE BEST 山口百恵 1979年6月21日 - 28YH-551(8トラック)
25KH-551(CT)
12 山口百恵全曲集 1979年11月1日 4 38YH-601(8トラック)
35KH-601(CT)
13 百恵・純愛 -映画TV主題歌・名場面集- 1980年9月21日 42 32KH-856
14 山口百恵全曲集 1980年11月1日 3 38KH-871
15 山口百恵オリジナル・カラオケ 1980年11月21日 - 20KH-898
16 山口百恵全曲集 1981年11月1日 27 38KH-1053
14 オリジナル・カラオケ全曲集1 1981年12月21日 - 15YH-1118
15 オリジナル・カラオケ全曲集2 - 15YH-1119
16 百恵メモリアル VOL.1 1982年5月2日 - 25KH-1141
17 百恵メモリアル VOL.2 74 25KH-1142
18 百恵メモリアル VOL.3 46 25KH-1143
19 オリジナル・カラオケ全曲集 山口百惠VOL.1 1982年8月25日 - 15KH-1197
20 オリジナル・カラオケ全曲集 山口百惠VOL.2 - 15KH-1198
21 オリジナル・カラオケ全曲集 山口百惠VOL.3 - 15YH-1197
22 オリジナル・カラオケ全曲集 山口百惠VOL.4 - 115YH-1198
23 山口百恵全曲集 1982年11月21日 31 38KH-1242
24 百恵メモリアル VOL.4 THE MOVIE -映画・TV主題歌:名場面集- 1983年5月21日 82 25KH-1314
25 百恵メモリアル VOL.5 THE FINAL -武道館ファイナル・コンサート名唱篇- - 25KH-1315
26 BEST SELECTION 1983年11月1日 - 38KH-1382
27 オリジナル・カラオケ全曲集 1984年6月21日 - 15KY-8027
28 百恵メモリアル VOL.6 BACK-SIDE STORY 1984年7月1日 - 25KH-1512
29 BEST SELECTION 1984年11月1日 - 38KH-1601
30 BEST SELECTION 1985年11月21日 - 38KH-1783
31 山口百恵ベスト・セレクション 1986年11月1日 73 38KH-1982


ボックス・セット 編集

タイトル 発売日 最高位 規格品番
1 REBIRTH/百恵全集 1984年5月21日 - 00DH-84/7
2 山口百惠全曲集 1993年11月25日 -
3 百惠神話 ONE AND ONLY 1973-1980 1996年8月21日 - SRCL-3631
4 百恵伝説II -STAR LEGEND II- 1999年2月27日 95 SRCL-4431/5
5 山口百惠 女優伝説 2000年10月18日 - SRCL-4891/9
6 MOMOE PREMIUM 2003年6月4日 8 MHCL-251/74
Complete MOMOE PREMIUM 2007年9月30日 - DQCL-1361/84
7 山口百恵 22 Original Albums Collection 2005年11月1日 - DYCS-1072
8 MOMOE LIVE PREMIUM 2006年1月18日 36 MHCL-731/51
9 コンプリート百恵伝説 2008年12月11日 - DQCL-1471

ライブ・アルバム 編集

タイトル 発売日 最高位 規格品番
1 百恵ライブ -百恵ちゃん祭りより- 1975年10月1日 10 SOLI-70/1
2 MOMOE ON STAGE 1976年10月21日 22 38AH-116/7
3 MOMOE IN KOMA 1977年11月1日 29 38AH-299/300(LP)
40YH-230(8トラック)
38KH-230(CT)
4 百恵ちゃんまつり'78 1978年10月21日 27 38AH-639/40(LP)
38KH-436(CT)
5 山口百恵リサイタル -愛が詩にかわる時- 1979年11月21日 42 40AH-907/8(LP)
40KH-629(CT)
6 伝説から神話へ -BUDOKAN…AT LAST- 1980年11月19日 3 70AH-1141/3(LP)
70KH-918/9(CT)

サウンドトラック 編集

タイトル 発売日 最高位 規格品番
1 オリジナル・サウンドトラック 伊豆の踊子 1975年2月21日 23 SOLL-120
2 オリジナル・サウンドトラック 潮騒 1975年7月21日 24 SOLL-150
3 オリジナル・サウンドトラック 絶唱 1976年2月25日 11 SOLL-208
4 赤い疑惑 -テレビ・ドラマ名場面集- 1976年4月21日 7 SOLL-218
5 オリジナル・サウンドトラック 春琴抄 1977年4月21日 35 25AH-191(LP)
25KH-118(CT)
6 オリジナル・サウンドトラック 泥だらけの純情 1977年9月21日 29 25AH-296(LP)
25KH-184(CT)
7 オリジナル・サウンドトラックホワイト・ラブ 1979年9月1日 31 25AH-790(LP)
25KH-653(CT)
8 オリジナル・サウンドトラック 古都 1980年12月21日 - 27AH-1173(LP)
27KH-946(CT)

映像作品 編集

タイトル 発売日 最高位[29] 規格品番
1 山口百恵 激写/篠山紀信 1980年7月 FVLA2(VHS)
FXLA2(βII)
2 伝説から神話 -BUDOKAN…AT LAST- 1980年11月19日 FVLA9(VHS)
FXLA9(βII)
3 山口百恵主演映画大全集 1994年3月22日 BVLL-507(LD)
BVS-603(VHS)
4 ザ・ベストテン 山口百恵 完全保存版 DVD BOX 2009年12月16日 7 TCED-689
5 山口百恵 in 夜のヒットスタジオ 2010年6月30日 3 AVBD-91791/6

トリビュート・アルバム 編集

タイトル 発売日 最高位 規格品番
1 山口百恵トリビュート Thank You For… 2004年5月19日 3 MHCL-614
2 山口百恵トリビュート Thank You For…part2 2005年5月25日 6 MHCL-538

他の歌手への提供曲の作詞 編集

曲名 発売 歌手 収録アルバム 名義
Let me be lonely 1980年 三浦友和 『喜・怒・愛(Ki・Do・I)』 横須賀恵
A・N・TA
ラ・セゾン 1982年 アン・ルイス 『LA SAISON D'AMOUR』 三浦百恵
I LOVE YOUより愛してる 1983年 『I LOVE YOUより愛してる』
通りすぎた風[注釈 2] 1983年[注釈 2] 高田みづえ シングル 横須賀恵
シンデレラ・リバティ 1987年 鈴木聖美 with Rats&Star WOMAN 三浦百恵

コンサート 編集

出演 編集

映画 編集

タイトル 公開年月日 監督 共演者 原作 備考
としごろ 1973年04月14日 市村泰一 森昌子   和田アキ子石川さゆり等が出演
百恵は助演
伊豆の踊子[13] 1974年12月28日  西河克己 三浦友和 川端康成 配給収入:8億2800万円
配給順位:1975年第3位
初主演
潮騒 1975年04月26日  三島由紀夫 配給収入:5億200万円
配給順位:1975年第6位
お姐ちゃんお手やわらかに! 坪島孝 和田アキ子   『潮騒』の併映作、ワンカットのみ出演
花の高2トリオ 初恋時代 1975年08月02日  森永健次郎 森昌子
桜田淳子
絶唱 1975年12月20日  西河克己 三浦友和 大江賢次 配給収入:9億1800万円
配給順位:1976年第5位
エデンの海 1976年04月24日  南條豊 若杉慧 配給収入:
配給順位:
風立ちぬ 1976年07月31日  若杉光夫 三浦友和 堀辰雄 配給収入:7億9200万円
配給順位:1976年第6位
春琴抄 1976年12月25日  西河克己 谷崎潤一郎 配給収入:8億8400万円
配給順位:1977年第8位
泥だらけの純情 1977年07月30日  富本壮吉 藤原審爾 配給収入:9億8500万円
配給順位:1977年第7位
昌子・淳子・百恵 涙の卒業式〜出発〜
1977年11月19日  根本順善 森昌子
桜田淳子
花の高3トリオ卒業コンサート
ライブ・ドキュメント
霧の旗 1977年12月17日  西河克己 三浦友和 松本清張 配給収入:8億8900万円
配給順位:1978年第8位
ふりむけば愛 1978年07月22日  大林宣彦 ジェームス三木(原案) 配給収入:8億6100万円
配給順位:1978年第9位
サンフランシスコ・ロケ
炎の舞 1978年12月16日 

[注釈 3]

河崎義祐 加茂菖子執炎 配給収入:9億2000万円
配給順位:1979年第8位
ホワイト・ラブ 1979年08月04日  小谷承靖 中川美知子(原案) 配給収入:8億6000万円
配給順位:1979年第10位
スペイン・ロケ
天使を誘惑 1979年12月22日  藤田敏八 高橋三千綱 配給収入:
配給順位:
古都 1980年12月06日 

[注釈 4]

市川崑 川端康成 配給収入:10億5000万円
配給順位:1981年第10位
引退記念作品、百恵一人二役

テレビドラマ(※ゲスト出演は含む) 編集

タイトル 放送局 放映期間 共演者 備考
顔で笑って TBS 1973年10月05日 - 1974年03月29日 宇津井健
水谷豊
銀河テレビ小説
灯のうるむ頃
NHK 1974年07月08日 - 07月22日
赤い迷路[1] TBS 1974年10月04日 - 1975年03月27日 宇津井健
松田優作
中野良子
平均視聴率:18.9%
最高視聴率:22.7%
赤いシリーズ第1作目
赤い疑惑[1] 1975年10月03日 - 1976年04月16日 宇津井健
三浦友和
平均視聴率:23.4%
最高視聴率:30.9%
赤い運命[1] 1976年04月23日 - 10月29日 宇津井健 平均視聴率:23.6%
最高視聴率:27.7%
赤い衝撃[1] 1976年11月05日 - 1977年05月27日 三浦友和 平均視聴率:27.0%
最高視聴率:32.6%
赤いシリーズで初の単独主演
赤い激流[1] 1977年06月03日 - 11月25日 平均視聴率:25.5%
最高視聴率:37.2%
大沢紀子役(第1話ゲスト・特別出演)
土曜ワイド劇場
野菊の墓
テレビ朝日 1977年07月09日
東芝日曜劇場
美しい橋
TBS 1977年10月02日 石井ふく子プロデュース
赤い絆[1] 1977年12月02日 - 1978年06月09日 国広富之 平均視聴率:29.5%
最高視聴率:32.4%
風が燃えた 1978年03月06日 三浦友和 日立スペシャル
人はそれをスキャンダルという 1978年11月21日 - 1979年04月17日 永島敏行
日本のおんなシリーズI
北国から来た女
フジテレビ 1979年04月25日   脚本: 平岩弓枝
ご近所の星 1979年10月13日 - 1980年03月08日 三浦友和 ゲスト主演:川本千恵(第10話)
毎朝新聞の婦人記者で、三浦友和の後輩
土曜ナナハン学園危機一髪
もうさみしくなんかないぞ
1980年05月03日
花王名人劇場
さらわれたスーパースター
1980年10月19日
赤い死線[1] TBS 1980年11月07、14日 三浦友和 山口百恵引退記念スペシャルドラマ

NHK紅白歌合戦出場歴 編集

年度 放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1974年 第25回 ひと夏の経験 01/25 西城秀樹 紅組トップバッター
1975年 第26回 2 夏ひらく青春 14/24 三橋美智也
1976年 第27回 3 横須賀ストーリー 01/24 野口五郎 紅組トップバッター(2)
1977年 第28回 4 イミテイション・ゴールド 13/24 加山雄三
1978年 第29回 5 プレイバックPart2 24/24 沢田研二 紅組トリ
1979年 第30回 6 しなやかに歌って 14/23 沢田研二(2)

ラジオ(※放送局はすべてニッポン放送 編集

タイトル 放送期間
山口百恵のモモモモ30分 1974年04月 - 1975年10月
山口百恵のラブリータイム 1975年11月 - 1976年03月
ねらえ!サウンドライフ 山口百恵と大石悟郎のフォーエバー・フォーク 1976年10月 - 1977年03月
フレッシュ・サウンド大進撃 山口百恵のスーパー・ライブ・カンパニー 1977年10月 - 1978年03月
激突!サウンド・フィーバー 山口百恵のカラフル・ポップコーン 1978年10月 - 1979年03月
独占!サウンドヒーロー 山口百恵と宇崎竜童のトヨタ・ローリングタウンNo.1 1979年10月 - 1980年03月
山口百恵 夢のあとさき 1980年04月 - 1980年10月

CM 編集

書籍 編集

著書 編集

関連書籍 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 百恵の大ファンと公言している松本人志は、自身の街ブラ番組「松本家の休日」で、番組中のOP・ED曲含め、BGMはほとんどが百恵の曲である。
  2. ^ a b 1978年に百恵自身の歌唱で発表しており、厳密には楽曲提供のみ行ったわけではない。
  3. ^ 多くのデータベースで「11月23日公開」と記されているが全くの誤りである。
  4. ^ 有楽座にて特別先行上映。全国公開は12月20日から。

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『別冊宝島2551 日本の女優 100人』宝島社、2017年、98頁。ISBN 978-4-8002-6889-1 
  2. ^ a b “山口百恵…70年代を代表するアイドル”. 日刊スポーツ. (2009年1月15日20時35分). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20090115-450447.html 2020年10月4日閲覧。 
  3. ^ 60岁了,她依然是这世界最让人怀念的少女”. mobile2.itanzi.com. 2023年4月1日閲覧。
  4. ^ 大場弘行 (2014年12月31日). “『おんなの時代:山口百恵さんの「原点」横須賀を歩く”. 毎日新聞. https://mainichi.jp/articles/20141231/mog/00m/040/014000c 2020年10月4日閲覧。 
  5. ^ a b c d e 山口百恵『蒼い時』集英社1981年
  6. ^ 小西良太郎「歌は世につれ世は歌につれ 歌謡特集(2) 『不況の中の'74年歌謡曲やぶにらみ考』」『スタア』1975年1月号、平凡出版、227–231頁。 
  7. ^ 四方田犬彦『日本映画史110年』(集英社新書 2014年p.199)。
  8. ^ 「独占公開! 山口百恵 ピンク・レディーの真実“スター誕生”物語」日本テレビ『スーパーテレビ情報最前線』、2000年11月20日放送
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関連項目 編集

外部リンク 編集