志摩市立的矢中学校

三重県志摩市にある中学校

志摩市立的矢中学校(しましりつまとやちゅうがっこう)は、三重県志摩市磯部町的矢にあった公立中学校。通称は的中(まとちゅう)。志摩市の当初の計画では志摩市立磯部中学校へ統合する予定であった[1]が、2013年(平成25年)3月31日志摩市立文岡中学校に統合され、閉校した[2]

志摩市立的矢中学校

旧的矢中学校正門(閉校後に撮影)
地図北緯34度22分15秒 東経136度51分41秒 / 北緯34.37094度 東経136.86125度 / 34.37094; 136.86125座標: 北緯34度22分15秒 東経136度51分41秒 / 北緯34.37094度 東経136.86125度 / 34.37094; 136.86125
過去の名称 的矢村立的矢中学校
磯部町立的矢中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 志摩市
設立年月日 1947年(昭和22年)5月3日
創立記念日 6月30日
創立者 的矢村
閉校年月日 2013年(平成25年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 517-0204
三重県志摩市磯部町的矢840
外部リンク 公式サイト閉鎖
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

2009年(平成21年)5月現在の生徒数は36人で志摩市内の中学校で最も少なかった[1]。閉校直前の2013年(平成25年)3月1日の生徒数は23人であった[2]

概要 編集

地域に根ざし、地域や保護者とともにふるさとを誇りに感じ、生き生きと活動する生徒の育成」を目指し、地域住民とのふれあいを総合的な学習の時間に取り入れていた[3]放課後に部活動に所属していない生徒などのために図書室を学習室として開放し、数名の教師が常駐して生徒の学習や内面を支える活動を行っていた[3]。小規模校のため1人ひとりの責任が重くなる半面、全校生徒は気心が知れた関係にあった[2]

志摩市立的矢小学校と隣接しており、小学校と運動場体育館を共有していた[4]。校地は的矢地区の小高い丘の上にあった[3]。また学校行事を小中合同で行うことがあり、相互の連携が取られていた[5]

1979年(昭和54年)に移転するまで使われていた旧校地は「みんなの森」として整備され、郷土出身の俳人嶋田的浦の句碑が設置されている[6]

沿革 編集

 
旧校地の「みんなの森」

閉校後 編集

閉校後の2018年(平成30年)2月から3月にかけて、志摩市はサウンディング型市場調査を実施し、的矢小学校・的矢中学校・成基小学校の跡地利用について民間から意見を募集した[12]。調査には2事業者が参加したが、両事業者は成基小学校の跡地利用にのみ意見を出し、的矢小・中学校に関しては提案しなかった[12]

教育の特色 編集

2010年(平成22年)から、地元の漁師が行っている的矢湾アマモ場の保存・再生事業に、環境教育と絡めて積極的に関わっていた[13]。アマモを含む藻場は「海のゆりかご」と呼ばれ、稚魚の生育に必要な環境である[14]。2010年は1年生のみの活動であったが、2011年からは全校に拡大した[5]

的矢中学校は2011年(平成23年)2月17日鳥羽市海の博物館で開かれた、「アマモ場の再生を目指して-漁業者と参加中学生の交流」に参加した[13][15]。この会には、生浦湾で同じくアマモ場再生を行っている鳥羽市立鏡浦中学校や漁業関係者、三重大学生物資源学部教授ら約120名が参加し、地域間・世代間を越えた交流が行われた[13][15]

旧通学区 編集

的矢小学校区と同じであった。離島の渡鹿野地区と的矢地区対岸の三ヶ所地区の生徒は、「県道船」と呼ばれる無料の渡し船を利用して通学していた[3]。(三重県道750号阿児磯部鳥羽線を参照。)

  • 磯部町的矢
  • 磯部町三ヶ所
  • 磯部町渡鹿野

校歌 編集

  • 作詞:宮沢威博
  • 作曲:鈴木寛

部活動 編集

バレーボール部(男子・女子)のみであった[3]。生徒はバレー部に加入するか否かを選択した。

過去の成績 編集

  • 2005年(平成17年)3月 - 東海大会準優勝(男子)[3]

卒業生 編集

閉校までに1,786人が卒業した[2]

脚注 編集

  1. ^ a b 志摩市"志摩市立小中学校再編基本計画"平成21年11月.(2015年11月5日閲覧。)
  2. ^ a b c d e f 丸山(2013):16ページ
  3. ^ a b c d e f 志摩市市長公室 編(2006):22ページ
  4. ^ 志摩市市長公室 編(2008):22ページ
  5. ^ a b 市川(2011):15ページ
  6. ^ 伊勢志摩きらり千選実行グループ"伊勢志摩きらり千選/嶋田青峰の句碑・的浦の句碑"(2011年7月29日閲覧。)
  7. ^ 磯部町史編纂委員会 編(1997):1233ページ
  8. ^ 磯部町史編纂委員会 編(1997):1266ページ
  9. ^ 磯部町史編纂委員会 編(1997):1274ページ
  10. ^ 磯部町史編纂委員会 編(1997):1275ページ
  11. ^ 磯部町史編纂委員会 編(1997):1277ページ
  12. ^ a b 旧的矢小中学校・旧成基小学校の利活用に係るサウンディング型市場調査の結果概要について”. 志摩市役所総務部管財契約課. 2020年2月13日閲覧。
  13. ^ a b c 「アマモ場の再生を目指して」鳥羽と志摩の中学生らが地域を越えて交流会”. 伊勢志摩経済新聞 (2011年2月16日). 2014年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月2日閲覧。
  14. ^ 海のゆりかご守ろう 三重・鳥羽の中学生、アマモ移植”. 朝日新聞社 (2011年6月7日). 2011年6月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月2日閲覧。
  15. ^ a b 漁業者と中学生の交流発表会・・・2/17鳥羽志摩アマモ場再生で”. 三重県環境・生態系保全活動支援協議会 (2011年3月16日). 2013年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月2日閲覧。

参考文献 編集

  • 磯部町史編纂委員会 編『磯部町史 下巻』平成9年9月1日、磯部町
  • 市川和利(2011)"学校は今 ふるさと学習「アマモ場の再生事業」への参加"退教互だより(財団法人三重県退職教員互助会).152:15.
  • 志摩市市長公室 編『広報しま 2006年8月号』Vol.39、志摩市市長公室、平成18年8月1日、24p.
  • 志摩市市長公室 編『広報しま 2008年3月号』Vol.77、志摩市市長公室、平成20年3月1日、22p.
  • 丸山崇志「最後の校歌高らかに 船越、的矢、波切の3中学で閉校式」2013年3月26日付中日新聞朝刊、伊勢志摩版16ページ

関連項目 編集

外部リンク 編集