怨霊 (プロレスラー)
怨霊(おんりょう、霊界元年5月27日 - )は、日本のプロレスラー。身長不明、体重0kg、血液型不明。
怨霊 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 怨霊 |
本名 | 非公開 |
ニックネーム | 霊界の貴公子 |
身長 | 不明 |
体重 | 0kg |
誕生日 | 霊界元年5月27日 |
出身地 | あの世(レッスル夢ファクトリー時代は群馬県太田市内の墓地と記されていた) |
所属 | 暗黒プロレス組織666 |
スポーツ歴 | 学生プロレス |
デビュー | 1995年3月31日 |
人物編集
経歴編集
東海大学在学中の1992年、学生プロレスで「ウルフ小澤」のリングネームで名を馳せる。
1995年3月31日、熊谷市民体育館レッスル夢ファクトリー旗揚げ戦にて、対ザ・ウルフ、オリンピコ戦でデビュー(パートナーはザ・マッドネス)
2000年4月に行われた第3回スーパーJカップに出場。登場時は奇抜な色物と思われたが、鋭い闘いを見せカレーマンから金星を取り知名度をあげた。また、前後で週刊プロレスの投稿コーナー『あぶない木曜日』の読者投稿で「ペイント取ると(素顔は)イケメンでは?」という噂があがり、女性人気を獲得。
Jカップ出場に際し他の参加選手より「ヘビー級ではないか」との物言いがついたが、公の場で計量を実施、「体重0kg」という結果で無事出場権を得た[2]。
レッスル夢ファクトリーを退団後、FMW、フリー、WMFと団体を渡り歩いた。
2003年12月、バカ社長ことクレイジーSKBと共に666(トリプルシックス)を旗揚げし、プロデューサーに就任。大日本プロレスでは、東海大学の先輩MEN'Sテイオーとタッグを組んだ。
2007年、666にて誤って生き返ってしまう。新人レスラー「ウルフ小澤」として再デビューした。ただし、大日本等、他団体参戦時は、「怨霊」で試合をする。
2011年3月27日、矢野啓太よりワラビーTV王座のベルトを譲渡され、7月2日にc.W.o興行・イサミレッスル武闘館にて防衛戦を行い磯英弥に反則で敗れるが、裁定によりベルトは防衛した。
2014年8月16日、新木場1stRINGでデビュー二十執念記念大会を開催。
2020年6月27日、新木場1stRINGでデビュー二十五執念記念大会において、宮本裕向が持つ666認定無秩序無差別級王座に挑戦。勝利し第2代王者となる。
得意技編集
幽霊さながらに不気味にたたずんでいるが、突如素早い動きを見せる。テクニカルな技と飛び技を得意とし、特に丸め込み技を仕掛けるタイミングと速度は絶妙であり、関係者から高い評価を受けている。
- 怨霊ドライバー
- タイガードライバーと同じ技
- 垂直落下式の別バージョンも使用。
- 怨霊クラッチ
- 変形の横十字固め。怨霊のこれは足で押さえるのではなく、足で挟む。
- 66ロック
- クルクルエルボー
- 死の灰攻撃
- ベビーパウダーの様な物で相手を目くらまし
- マッドハンド
- 自分がフォールされたときにカウントを叩くレフェリーの手を止めてしまうというとんでもない技
タイトル歴編集
- WEWタッグ王座(第11代。パートナーはGOEMON)
- WEWハードコアタッグ王座(第7代。パートナーはGOEMON)
- WMF認定ジュニアヘビー級王座(第4代)
- UWA世界ミドル級王座(第39代)
- 日本インディペンデントクルーザー級王座(第3代)
- ワラビーTV王座
- 666認定無秩序無差別級王座(第2代)
脚注編集
関連項目編集
外部リンク編集
- ブログ「怨霊のBLOODYDAYS」
- 暗黒プロレス組織666 -TRIPLESIX- オフィシャルサイト
- 怨霊 (@4649_666) - Twitter