息長丹生大国
出自
編集息長丹生氏(息長丹生真人)は、息長氏の一族である皇別氏族[1]。氏の呼称は近江国坂田郡丹郷(現在の滋賀県米原市丹生)を本拠としていたことに由来する。しかし、氏人が本拠に居住していた記録はなく、多くが京貫で画工司や造東大寺司の画師・仏工を務めた。姓はおそらく元は君(公)でのちに真人に改姓したと想定される[2]。
経歴
編集天平宝字8年(764年)正月に外従五位下に叙せられ、藤原仲麻呂の乱終結後の10月に大和介に任ぜられる。その後も天平神護3年(767年)播磨員外介、神護景雲2年(768年)美作員外介と称徳朝で地方官を歴任し、神護景雲3年(769年)正五位下に至った。
官歴
編集注記のないものは『続日本紀』による。