愛よ人類と共にあれ
『愛よ人類と共にあれ』(あいよじんるいとともにあれ)は、1931年(昭和6年)製作・公開、松竹蒲田撮影所製作、松竹キネマ配給、島津保次郎監督による日本のサイレント映画である[1][2]。『前篇 日本篇』(ぜんぺん にほんへん)と『後篇 米国篇』(こうへん べいこくへん)から成り、同年4月17日に両篇一挙公開された[1][2]。
愛よ人類と共にあれ 前篇 日本篇 / 後篇 米国篇 | |
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監督 | 島津保次郎 |
脚本 | 村上徳三郎 |
製作総指揮 |
大谷竹次郎 城戸四郎 |
出演者 |
上山草人 鈴木傳明 岡田時彦 |
撮影 |
桑原昴 長井信一 |
製作会社 | 松竹蒲田撮影所 |
配給 | 松竹キネマ |
公開 |
1931年4月17日 2010年10月4日 (ポルデノーネ無声映画祭) |
上映時間 | 現存 241分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
略歴・概要
編集本作は、1931年、松竹蒲田撮影所(のち大船に移転、現存せず)が製作、松竹キネマ(現在の松竹)が配給して、同年4月17日、東京・浅草公園六区の帝国館(現存せず)を皮切りに、両篇一挙公開された合計4時間を超える巨篇である[1][2]。アメリカ合衆国でのロケーション撮影を行った『後篇 米国篇』では、同国のヴォードヴィリアンであり俳優であるマック・スウェインらが出演している[2][3]。撮影日数丸2年、使用ネガ20万フィート、出演者延人数8万人という、蒲田始まって以来の大作で興行成績はそれなりだったが、冗長すぎるという評価を受けた[4]。
本作のスタッフクレジットに「監督協力者」として豊田四郎や吉村公三郎らが名を連ねているスタッフは、必ずしも演出部ではなく、畔柳勝治は撮影事務であり[5]、鈴木・新井両名については不明である[1][2]。
現在、東京国立近代美術館フィルムセンターは、本作の241分の上映用35mmプリントを所蔵している[6]。日本でのビデオグラム発売はない[7]。
2010年(平成22年)10月2日 - 同9日にイタリアのポルデノーネで開かれた第29回ポルデノーネ無声映画祭において、島津保次郎、清水宏、牛原虚彦を特集したプログラム「松竹の三巨匠」の1作として、同4日に上映され[8]、無声映画伴奏者の柳下美恵が4時間を弾ききり、スタンディング・オベイションを受けた[9]。
スタッフ・作品データ
編集キャスト
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関連事項
編集註
編集- ^ a b c d e 愛よ人類と共にあれ 前篇 日本篇、日本映画データベース、2010年10月7日閲覧。
- ^ a b c d e f 愛よ人類と共にあれ 後篇 米国篇、日本映画データベース、2010年10月7日閲覧。
- ^ Ai yo jinrui to tomo ni are - Zenpen: Nihon hen, Internet Movie Database , 2010年10月8日閲覧。
- ^ 細江光「上山草人年譜稿 ; 4 : 谷崎潤一郎との交友を中心に」『甲南女子大学研究紀要. 文学・文化編』第40巻、甲南女子大学、2004年、A37-A63、ISSN 1347-121X、NAID 110004627941。
- ^ 畔柳勝治、日本映画データベース、2010年10月8日閲覧。
- ^ a b c 愛よ人類と共にあれ、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年10月8日閲覧。
- ^ 愛よ人類と共にあれ 前篇 日本篇 / 後篇 米国篇、allcinema ONLINE, 2010年10月8日閲覧。
- ^ 2010 Catalogo / , ポルデノーネ無声映画祭、2010年10月8日閲覧。
- ^ 2010年10月05日 蒲田ウェスタン、岡田秀則 (東京国立近代美術館フィルムセンター)、2010年10月8日閲覧。