戸田忠翰
戸田 忠翰(とだ ただなか)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。下野国宇都宮藩2代藩主。宇都宮藩戸田家8代。官位は従五位下・能登守、越前守。
戸田忠翰の墓(合葬墓碑) | |
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
生誕 | 宝暦11年8月29日(1761年9月27日) |
死没 | 文政6年9月28日(1823年10月31日) |
改名 | 秀太郎(幼名)、忠翰、粛亭(法号) |
戒名 | 大仙院殿前従五位下越州大守智岳聡叡大居士 |
墓所 | 栃木県宇都宮市の英巌寺 |
官位 | 従五位下、能登守、越前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 下野宇都宮藩主 |
氏族 | 戸田氏 |
父母 | 父:戸田忠寛、母:本多正珍娘・連子 |
兄弟 |
忠翰、田中忠舜、永井尚佐正室 養兄弟:利尾、堀直方正室 |
妻 |
正室:松平忠順娘・結子 側室:菊、歌、袖、久米、皆、染 |
子 |
忠延、亀都、光、栄寿院、岡部忠直、朝、鑑、忠温、恭 養子:忠孝 |
生涯
編集宝暦11年(1761年)8月29日、初代藩主(当時は肥前島原藩主)・戸田忠寛の長男として江戸で生まれる。安永7年(1778年)12月16日に従五位下・能登守に叙位・任官する。寛政10年(1798年)6月21日の父の隠居により、家督を継いで第2代藩主となる。
文化元年(1804年)8月7日に越前守に遷任する。しかし病弱であり、藩政に関しては相次ぐ移封などで財政難であった[1]。文化6年(1809年)には持病の肩から手にかけての痛みがあったという。このため忠翰は治世での業績には乏しいが、反面西洋の器物を好み、南蘋風の絵を良くした。森蘭斎に師事して、師の画譜『蘭斎画譜後編』(享和元年(1801年)刊)に序文を寄せ、「桃寿帯鳥図」などの絵を残している[1]。
文化6年(1809年)3月からは忠翰が病に倒れて藩政を執ることが困難になったため、文化8年(1811年)4月21日に家督を次男の忠延に譲って隠居した[1]。隠居後は深川の江戸屋敷で静かに余生を過ごした[1]。
文政6年(1823年)2月に先立った忠延の後を追うように、9月28日に死去した。享年63。
系譜
編集父母
正室
- 結子 - 松平忠順の娘
側室
- 菊
- 歌
- 袖
- 久米
- 皆
- 染
子女
- 戸田忠延(次男) 生母は結子
- 岡部忠直(三男)
- 戸田忠温(五男)
- 亀都 - 松平親明正室
- 光 - 本多正意正室
- 栄寿院 - 分部光邦正室
- 朝(四女) - 織田信美正室
- 鑑 - 牧野以成継々室
- 恭 - 戸田忠偲正室
養子
絵画作品
編集作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款・落款 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
蓮ニ翡翠図 | 絹本著色 | 1幅 | 82.5x33.7 | 個人蔵 | 1784年(天明4年) | 増山正賢賛。「墨竹図」(上野記念館蔵)とともに現在知られる最も早い作例。 | |
白鷺鷲追兎図 | 絹本著色 | 1幅 | 111.5x50.2 | 神戸市立博物館 | 1785年(天明5年) | 落款「天明乙巳初秋得写/撃鷲襲潜兎図蘭徳斎」/印章「月印池」朱文方印・「藤氏忠翰」白文方印・「絲□」朱文瓢印 | 初期の作 |
叭々鳥図 | 絹本著色 | 2幅 | 各90.5x30.0 | 栃木県立博物館 | 1787年(天明7年) | 落款「天明七丁未 蘭徳斎写」/朱文方印1・白文方印1(ともに印文不明) | |
松に白鷹図 | 1幅 | 長崎県立美術博物館 | 1790年(寛政2年) | 落款「寛政庚戌季秋藤原忠翰写」/「含英堂」白文方印・「隹周」朱文方印・「華前酒意」朱文長方印 | |||
雪竹兎図 | 紙本墨画 | 1幅 | 120.2x46.4 | 板橋区立美術館 | 1796年(寛政8年) | 落款「寛政丙辰写 藤含英」/「藤原」朱文方印・「忠翰埜印」白文方印・「足吝」朱文長方印 | |
鷹に小禽図 | 絹本著色 | 1幅 | 106.1x41.0 | 神戸市立博物館 | 1796年(寛政8年) | 落款「寛政丙辰孟冬藤含英写」/「藤原」白文方印・「忠翰埜印」白文方印 | |
風牡丹図 | 献本墨画金彩 | 1幅 | 103.4x33.7 | 個人蔵 | 1798年(寛政10年) | 落款「寛政戊午仲冬藤含英写」/「忠翰」白文方印・「惟周」白文方印・「華備春林月満秋」朱文長方印 | |
瓶花図 | 絹本著色 | 1幅 | 112.2x37.4 | 栃木県立博物館 | 1801年(寛政13年) | 落款「寛政辛酉孟春得写南蘋沈氏筆法藤含英」/「藤原」白文方印・「忠翰埜印」白文方印・「魚龍潜躍□文」朱文方印 | |
桃綬帯鳥図 | 絹本著色 | 1幅 | 100.0x42.6 | 栃木県立博物館 | 「藤原」白文方印・「忠翰埜印」白文方印・「含春澤裂秋風」朱文長方印 | ||
花鳥図 | 2幅 | 個人蔵 | 「藤原」白文方印・「忠翰埜印」白文方印 | ||||
岩浪仙禽図(岩上鶴図) | 絹本著色 | 1幅 | 111.9x43.2 | 個人蔵 | 1801年(享和元年)以前 | 「藤原」白文方印・「忠翰埜印」白文方印 | 丹頂鶴を忠翰、竹石と波を蘭斎が描いた珍しい師弟合作。 |
芭蕉に小禽図 | 絹本著色 | 1幅 | 120.2x44.7 | 上野記念館 | 1803年(享和3年) | 落款「享和癸亥冬十又一月写/玉霞楼書屋藤含英」 | |
雨中鶏図 | 大英博物館 | ||||||
柘榴に文鳥図・柘榴に碧鳥図 | 絹本著色 | 2幅 | 各94.8x31.3 | 世田谷区立郷土資料館 | 1805年(文化2年)箱書 | 箱書「文化二年四月下旬/戸田越前守忠翰筆」 | |
白鸚鵡図 | 絹本著色 | 1幅 | 95.6x37.5 | 個人蔵 | 1805年(文化2年) | 落款「乙丑春写 藤含英」/「鶴洲」白文方印・「忠翰埜印」白文方印・「含春澤裂秋風」朱文長方印 | 有年紀作品では本作より降る忠翰の作品は確認されていない。 |
脚注
編集参考文献
編集- 橋本慎司「南蘋派画人としての宇都宮城主戸田忠翰について」『歴史と文化』6号、栃木県歴史文化研究会、1997年8月31日、49-61頁。
- 坂本俊夫『宇都宮藩・高徳藩』現代書館〈シリーズ藩物語〉、2011年9月。ISBN 978-4-7684-7128-9。
- 佐々木英理子「戸田忠翰 白鸚鵡図」『国華』第1432号、2015年2月20日、17-21頁、ISBN 978-4-02-291432-3。
- 栃木県立博物館編集・発行 『第一一四回企画展 宇都宮市市制一二〇周年記念 宇都宮藩主 戸田氏―その歴史と文芸―』 2016年4月29日、ISBN 978-4-88758-087-9。