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政治的無関心(せいじてきむかんしん)は、一般国民政治への無関心や、消極的志向、ときには否定的態度をも意味する現代社会用語。英語アパシーともいう。

近年、若者を中心に政治的無関心が高まっているとされ、その一端は選挙における投票率の低下や、政治的デモ行為の減少にも見られる[1]

目次

政治的無関心の分類編集

リースマンの二類型編集

アメリカ社会学者デイヴィッド・リースマンは、政治的無関心を次の2つに分類した[2]

伝統型無関心 政治は社会的地位の高い者たちに任せておけばよいという立場から、一般大衆が政治に対する関心を抱かない状態。選挙権を有しないために参政できない状況も含まれる。
現代型無関心 国民が政治を他人事のように捉え、関心を抱かない状態。政治を解する予備知識や学識を持ち合わせていても、自分に関係がないとして参政しようとしない。または、分かりにくい政治を理解しようとしない。

ラスウェルの三類型編集

アメリカ政治学者ハロルド・ラスウェルは、政治的無関心を次の3つの態度に分類した[2]

無政治的態度 政治以外の事物に関心が集中した結果、政治に関する知識や関心が低下した状態。
反政治的態度 政治そのものを軽蔑したり否定したりする態度。
脱政治的態度 かつて政治による自己の期待を充足することに期待したものの、幻滅を感じて政治への関心を失った状態。

中井正一の四類型編集

中井正一の専門は政治学ではなく美学であり、リースマンやラスウェルの学説と比べると知名度・権威ともに乏しく、あまり参照されない。知識人に特有の状態のみ扱っている。また、中井正一のいう無関心の定義は極めて広義のものであり、そのため無関心ではなく遊離という言葉が用いられている。

敗退的遊離 ラスウェルのいう脱政治的無関心にほぼ相当する概念。現実の政治に幻滅し、ひたすらに理想論のみを唱える。
逃避的遊離 ラスウェルのいう無政治的無関心と反政治的無関心を包含する概念。「政治は醜いもの」という超越的な態度をとり、関わろうとしない。
妥協的遊離 ただ現状を追認するのみで、批判的な精神を完全に失っている状態。
捨身的遊離 後述する屈折的無関心の極端化した状態。抗議自殺など自暴自棄の行動をとる。
前の三者と異なり、政治に関与しようという意思自体は存在するため、狭義の無関心の概念には収まらない。

その他の政治的無関心編集

政治学者の中には、行動主義の影響を受け、心理ではなく行動を基準にして無関心を定義する者がいる。したがって、実際には政治に対する関心が強い状態でも政治的無関心に含まれることがある。

屈折的無関心 本当は政治に参加したいという欲求を持っているが、自分が参加しても大した影響は及ぼせないと考えて政治に距離を置いている状態。知識人に多いとされる。
ラスウェルのいう脱政治的無関心と重なるが、必ずしも政治経験を有する必要はない。
実存的無関心 いくつかの政治問題には関心があるが、現実の政治が自分の思想と同じ方向に動いているため、特に政治行動を起こさない状態。政治変動が起こると唐突に熱心な活動家と化す。サイレント・マジョリティとして社会の各階層に多数が伏在すると推測されている。

脚注編集

関連項目編集