サイレント・マジョリティ

サイレント・マジョリティ: silent majority)とは、「静かな大衆」あるいは「物言わぬ多数派」という意味で、積極的な発言行為をしない一般大衆のことである。

対義語は、少数だが声の大きい人々を意味するノイジー・マイノリティまたはラウド・マイノリティである[1]

概要編集

ニクソン大統領の発言編集

アメリカニクソン大統領が、1969年11月3日の演説で「グレート・サイレント・マジョリティ[2]」としてこの語を用いた。当時、一部の学生などによるベトナムからの即時全面撤退を求める反戦運動が行われており、メディアなどから注目を受けていた。

大統領選挙における公約として「平和裡の終戦」を掲げていた[3]ニクソンは、「そういった運動や声高な発言をしないアメリカ国民の大多数は、ベトナムからの即時全面撤退を求めていない」という意味でこの言葉を使った。

当時、兵役を回避しながら、大学に行きつつ反戦運動に興じる学生らに対して、アメリカ国内では高学歴の富裕層や穏健的な中流層から、保守的な低所得者層の労働者たちまでの広範囲な層が反感を強めていた。実際に、このテレビ演説のあとニクソンの支持率は50%から80%以上にまで上昇し、さらに1972年アメリカ合衆国大統領選挙でニクソンは50州中49州を獲得し、圧勝している。[2]

岸信介総理の発言編集

ニクソンの発言との関係は不明だが、日本でもこれを遡ること9年前、1960年(昭和35年)のいわゆる「安保闘争」の際に、当時の首相岸信介がニクソンの「サイレント・マジョリティ」と近い意味の発言を行った。同年5月28日の記者会見で「(安保反対の)デモには一般大衆からの批難の声がないが、どう思うか」との質問に対し、岸は次のように述べた。

声なき国民の声に我々が謙虚に耳を傾けて、日本の民主政治の将来を考えて処置すべきことが私は首相に課せられているいちばん大きな責任だと思ってます。今は「声ある声」だけです[4][5] — 岸信介、1960年5月28日記者会見

安保反対運動に参加していない国民が多数派であり、彼らを声なき声と表現し、安保反対運動支持は少数派と述べた。安保条約に抗議して小林トミらによってつくられた安保条約反対派による市民グループ「声なき声の会」はこの岸の言葉に反発して名付けられた[6]。「声なき声の会」はその後「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の母体となった[7]。サイレントマジョリティーである無党派層の声を判断するために後継の池田勇人首相が1960年10月24日に断行した第29回衆議院議員総選挙(安保解散)では、岸が提唱して池田が発展させた所得倍増計画などの経済政策の恩恵を受けていた世論の自民党への安泰ムードが支配し、自民党は296議席を獲得した。岸の言う通り、安保闘争の選挙への影響は少なく、保守合同で強力になった自民党は議席を増やした[8]

マクロン大統領の発言編集

フランスエマニュエル・マクロン大統領もフランスで影響力を誇る労働組合などからデモや抗議活動を受けているが、それ以外のフランス世論の6割以上がマクロン大統領を「方向性が明確」と支持している。マクロン大統領は「政府はサイレントマジョリティーに支持されている」と表明している[9]

脚注編集

  1. ^ 「中央公論 第5~6号」p61,1996年
  2. ^ a b : Fraser, Steve; Gerstle, Gary (1989). The Rise and fall of the New Deal order, 1930–1980. Princeton University Press. p. 263. ISBN 0-691-00607-5.
  3. ^ Nixon’s Silent Majority Speech”. watergate.info. 2019年4月16日閲覧。
  4. ^ 「知の巨人たち」 第2回 ひとびとの哲学を見つめて~鶴見俊輔と「思想の科学」~(2014年7月12日放送)”. NHK. 2019年7月8日閲覧。
  5. ^ 『朝日新聞』1990年5月30日付朝刊、29面、「声なき声の会 30年前アンポがあった」。
  6. ^ 岩垂弘「声なき声:1 反安保デモに合流」 『朝日新聞』1988年6月13日付夕刊、3面。
  7. ^ 岩垂弘「声なき声:6 ベ平連誕生の礎に」 『朝日新聞』1988年6月18日付夕刊、3面。
  8. ^ [岩田太郎]【"声なき多数派"、安倍政権支持に傾くか?】~安保可決後の民意はどこへ 1~”. NEXT MEDIA "Japan In-depth"[ジャパン・インデプス] (2015年7月17日). 2020年6月2日閲覧。
  9. ^ マクロン改革、既得権崩す 仏大統領就任1年” (日本語). 日本経済新聞 (2018年5月10日). 2020年6月2日閲覧。

関連項目編集