敬子女王(けいし(たかこ)じょおう、生薨年不詳)は、平安時代中期の皇族敦平親王王女三条天皇皇孫)、母は但馬守源則理後冷泉天皇朝の伊勢斎宮

敬子女王
続柄 敦平親王王女

全名 敬子(けいし/たかこ)
身位 女王
出生 不明
死去 治暦4年(1068年)以降
父親 敦平親王
母親 源則理
役職 伊勢斎宮
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斎宮嘉子内親王の退下に代わり、永承6年(1051年)10月7日に卜定される。同7年(1052年)4月25日、大膳職初斎院入り。同年9月28日、野宮に遷る。天喜元年(1053年)9月14日、伊勢群行治暦4年(1068年)4月19日、後冷泉天皇崩御により在任18年で退下。その後の消息は不明。

参考文献

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