女王 (皇族)

日本の皇族女子の身位

女王(じょおう、にょおう、:Princess)は、皇族女子の身位または称号の一つ。または女王の身位を与えられた皇族のこと。 現行の皇室典範では天皇から見て嫡男系嫡出で三親等以遠の女子に与えられる(ただし天皇の姉妹は特例として三親等以遠でも内親王となる)。皇室典範で定められた敬称は殿下

2021年令和3年)現在、寬仁親王三笠宮)の女子である彬子女王瑶子女王憲仁親王高円宮)の女子である承子女王の合計3人がその地位にある。これら3女王は何も、直系尊属にあたる大正天皇から見て三親等即ち曾孫、徳仁今上天皇)から見た場合は傍系で再従妹にあたる。

称号:女王
敬称 女王殿下
Her Imperial Highness the Princess

概要 編集

現代の法的根拠 編集

現行皇室典範
皇室典範第5条
皇后太皇太后皇太后親王親王妃内親王王妃及び女王を皇族とする。
同第6条
嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を、女を女王とする。
同第7条
王が皇位を継承したときは、その兄弟姉妹たる王及び女王は、特にこれを親王及び内親王とする。
旧皇室典範
※引用註:()内は現代かな遣い・新字体に改め、句読点を補ったもの
皇室典範第三十條
皇族ト稱フルハ太皇太后皇太后皇后皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃內親王王王妃女王ヲ謂フ
(皇族と称うるは太皇太后・皇太后・皇后・皇太子・皇太子妃・皇太孫・皇太孫妃・親王・親王妃・内親王・王・王妃・女王を謂う)
同第三十一條
皇子ヨリ皇玄孫ニ至ルマテハ男ヲ親王女ヲ内親王トシ五世以下ハ男ヲ王女ヲ女王トス
(皇子より皇玄孫に至るまでは、男を親王、女を内親王とし、五世以下は、男を王、女を女王とす)
同第三十二條
天皇支系ヨリ入テ大統ヲ承クルトキハ皇兄弟姉妹ノ王女王タル者ニ特ニ親王內親王ノ號ヲ宣賜ス
(天皇支系より入て、大統を承くるときは、皇兄弟姉妹の王・女王たる者に、特に親王・内親王の号を宣賜す)

王・女王の身位に関連する部分で、現行皇室典範と、いわゆる旧皇室典範における大きな差異の一つは、親王・内親王が旧皇室典範では4世(皇玄孫)までであるが、現行では2世(皇孫)までとなっている。

歴史 編集

養老律令継嗣令中、天皇の2~5世孫までの女子が「女王」と定められ、4世までが皇親(皇族)とされた。永世皇族制の採用により、1889年(明治22年)の(旧)皇室典範制定以降はこのような規定は設けられていない。

平安時代初期以降、高御座の御帳を褰げ開く「褰帳命婦」は、女王である皇族女子の務めとなった(当該項目を参照)。

女王の身位を持つ皇族女子が皇后または中宮となったのは、幸子女王(有栖川宮幸仁親王の第1王女)が女御を経て第113代東山天皇の中宮に冊立された例と、良子女王久邇宮邦彦王の第1王女)が皇太子妃を経て第124代昭和天皇の皇后に冊立された例の、計2例である。

近代に入り、皇室典範成案が起草されるにあたり、その第35条にて従来の皇女に留まらず、親王妃にも内親王、王妃を女王と規定する条文の策定が検討された。しかし、有栖川宮熾仁親王が「名分よろしからず」と述べ、これに反対した。内親王は皇女の称であり、王号は皇統から出たものに限るというのがその理由だった。結果、女王の身位は従来と同様、皇族に生まれた女子の称号として今日まで続いている[1]

皇族身位令」(明治43年皇室令第2号、昭和22年廃止)により、女王には勲二等宝冠章が授与され、また班位は皇族中の最下位に再整理された。皇族身位令廃止後も制度は概ね踏襲され、成年に達すると、宝冠牡丹章が授与されている(2003年平成15年)11月2日までに成年に達した場合は勲二等宝冠章)。

内親王・女王が皇族以外の臣下に嫁すことを降嫁といい、結婚に際し皇族の身分を失う(旧皇室典範第14条、現行皇室典範第12条)。なお、欧米の言語表記では内親王と女王の区別が無く、英語を例にすれば Princess が用いられる。

身位の変更・保持 編集

女王は次のいずれかに当てはまる場合、内親王に身位が変更される。皇室典範制定以来、いずれも該当例はない。

  1. 皇位の継承により嫡出の皇子または嫡男系嫡出の皇孫となった場合。(皇室典範第6条)
  2. 女王の兄弟たる王が皇位を継承した場合。(皇室典範第7条 / 旧皇室典範第32条)

親王または王と結婚した場合は、成婚後も皇后となるまでは、引き続き元来の身位も併存(保持)する。

近現代において皇族妃となったのは、良子女王(香淳皇后)の他、伏見宮妃利子女王有栖川宮家出身)、山階宮妃佐紀子女王賀陽宮家出身)、久邇宮妃知子女王伏見宮家出身)がいる。

現在の女王 編集

読み 生年月日 現年齢 続柄[注釈 1] 世数[注釈 2]
彬子女王 あきこ 1981年(昭和56年)12月20日 41歳 皇再従妹[注釈 3]/ 大正天皇の皇曾孫
/寬仁親王第一女子
三世
瑶子女王 ようこ 1983年(昭和58年)10月25日 40歳 皇再従妹/ 大正天皇の皇曾孫
/寬仁親王第二女子
三世
承子女王 つぐこ 1986年(昭和61年)3月8日 37歳 皇再従妹/ 大正天皇の皇曾孫
/高円宮憲仁親王第一女子
三世

女王一覧 編集

古代 編集

中世 編集

近世 編集

江戸時代後期:第113~118代天皇 編集

皇室 編集
世襲親王家 編集
有栖川宮家:第5~7代

江戸時代後期~明治時代:第119~122代天皇 編集

皇室 編集
世襲親王家 編集
閑院宮家:

近現代 編集

男系の当主・後嗣と、女王のみを列挙する。※印は、1947年10月に臣籍降下(いわゆる皇籍離脱)した者

皇室 編集

世襲親王家 編集

伏見宮家 編集
有栖川宮家 編集

第8代以降有栖川宮幟仁親王以降を列挙する。

伏見宮系皇族 編集

伏見宮邦家親王とする宮家(伏見宮家を除く)の構成員。

山階宮家 編集
賀陽宮家 編集
久邇宮家 編集
梨本宮家 編集
朝香宮家 編集
東久邇宮家 編集

備考:盛厚王には、皇籍離脱後の1954年に次女が誕生している。

竹田宮家 編集
北白川宮家 編集


閑院宮家 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 天皇及び親王からの続柄
  2. ^ 直系尊属の天皇から数えた数
  3. ^ 今上天皇(第126代天皇)から見た続柄

出典 編集

  1. ^ 鈴木正幸 2005, p. 63.

参考文献 編集

  • 鈴木正幸『皇室制度』岩波書店、2005年。ISBN 4004302897 

関連項目 編集