新庄直矩

日本の江戸時代前期の大名。常陸麻生藩3代藩主新庄直好次男で、麻生藩5代藩主

新庄 直矩(しんじょう なおのり)は、常陸麻生藩の第5代藩主

 
新庄 直矩
時代 江戸時代前期
生誕 万治3年(1660年
死没 延宝4年4月30日1676年6月11日
改名 民部(通称)
戒名 総寧寺殿岩永刹大居士
墓所 東京都文京区本駒込の吉祥寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱
常陸麻生藩
氏族 新庄氏
父母 新庄直好養父新庄直時
兄弟 直常直矩、娘(新庄直時継室)
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生涯 編集

第3代主・新庄直好次男として生まれる。父・直好が62歳という高齢のときに誕生した男児のため、すでに直好は養子として新庄直時を迎えていた。寛文2年(1662年)に父が死去したときは3歳だったために家督は継ぐことができず、直時が第4代藩主となった。

延宝2年(1674年)8月9日、直時が江戸幕府に嘆願して隠居し、家督を直矩に譲った。このとき、藩領3万石のうち7000石を直時に分与して後見人とし、直矩は2万3000石の大名となった。しかし延宝4年(1676年)4月30日に急死する。享年17。

直矩には継嗣が無く、直矩の叔父直之直治らは、直之の4男・直舊末期養子にすることを幕府に申し出たが、この要望は一族の衆議を経ていないとして許可されず、改易された[1]。しかし、直矩没後から2ヵ月後の6月21日、隠居していた直時に3000石が与えられ、分与されていた7000石と併せた1万石の藩主として復帰することとなる。

系譜 編集

父母

養子

注釈・出典 編集

  1. ^ 須田茂『徳川大名改易録』(崙書房出版、1998年)193頁