新興勢力会議(しんこうせいりょくかいぎ、略称:CONEFO)とは、1965年に結成された新興国によるパートナーシップである。

CONEFO
新興勢力会議
Conference of the New Emerging Forces
CONEFOの記念切手
CONEFO本部(現・インドネシア国会)
CONEFOについて説明するスハルト
CONEFO博物館の展示
略称 CONEFO
愛称 北京平壌ハノイジャカルタ枢軸[1]
名の由来Conference of the New Emerging Forces」の頭文字
標語 特に無し
前身 無し
合併先 無し
後継 無し
設立 1965年1月7日
設立者 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮
ベトナム民主共和国の旗 ベトナム民主共和国
インドネシアの旗 インドネシア
設立地 ジャカルタ
解散 1966年8月11日
合併元 無し
種類 地域グループ集団安全保障
法的地位 国際機関
目的 新興国の共同発展、第二国連の設置、反帝国主義脱植民地化反米
本部 ジャカルタ
所在地 現在のインドネシア国会
会員数
9ヶ国
公用語 中国語朝鮮語ベトナム語インドネシア語
事務局長 スカルノ
その他幹部 多数
重要人物 毛沢東
金日成
ホー・チ・ミン
スカルノ
主要機関 無し
加盟 無し
提携 無し
関連組織 新興国競技大会非同盟運動77ヶ国グループ
予算 不詳
職員数
多数
ボランティア数
不詳
ウェブサイト 無し
特記事項 現在でもこの4ヶ国が関係が深い。
かつての呼び名
無し
冷戦時代において、第三世界の中核となった。
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沿革 編集

第二次世界大戦が終結し、かつて列強植民地だった諸国は、次々に独立を勝ち取っていった。だが間もなく冷戦が始まり、アメリカを中心とする資本主義・右翼諸国西側と、ソ連を中心とする社会主義・左翼諸国東側に分かれ、戦争寸前の状況に陥った他、朝鮮戦争などの東西の代理戦争も発生、ベトナムでも共産主義化した北側とアメリカが介入した南側で緊張が高まり、後にベトナム戦争に発展し、中国での中華人民共和国(東側)と中華民国(台湾、西側)の対立が発生するなど、冷戦の影響はアジアにも及んだ。

この頃、インドネシアの初代大統領スカルノは、冷戦は欧米西側列強による帝国主義であり、対抗する必要があると考え[2]、列強が強大な権限を持つ国連を脱退。当時未加盟だった中華人民共和国[3]北朝鮮北ベトナムと協力関係を築いてパートナーシップを結び、「北京平壌ハノイジャカルタ枢軸」と呼ばれる同盟構想を打ち立て、これが後に新興勢力会議として結成され、ユーゴスラビアアラブ連合共和国キューバPLOなどの国々も加盟した。

1966年8月11日スカルノに代わり実権を掌握していたスハルトにより会議は解散された。

脚注 編集

  1. ^ ダリパダ、ダリパダ”. 花崎泰雄 (2007年3月). 2022年1月30日閲覧。
  2. ^ 出典”. Rahadian Rundjan (2017年10月30日). 2021年11月9日閲覧。
  3. ^ 当時、中国の代表権は中華民国が保持していた。

関連項目 編集