日本内外航空
日本内外航空(にっぽんないがいこうくう 英語:Nippon Naigai Airways)[1](NNA)とは、1977年(昭和52年)から1983年(昭和58年)頃にかけて日本の九州で航空路線を運航していた航空会社である。
概要
編集種子島空港と屋久島空港との間に定期便を運航(1977年10月1日開設、1983年4月1日に運休)するなど、鹿児島空港を拠点に鹿児島県内の離島路線を運航していた。
この種子島 - 屋久島線では、機材はブリテン・ノーマン トライランダー[2]を使用していた。
種子島 - 屋久島の路線は、1983年6月24日から当社を引き継ぐ形で公共施設地図航空によるチャーター便が運航開始されたが、1986年3月10日に運休、同年5月22日から、日本産業航空(後の朝日航空)によって同路線でのチャーター便が運航開始されたが、1990年3月10日に運休、翌年1991年3月10日に廃止、その後も日本コンチネンタル空輸などによるチャーター便が運航されたが、やがて運休・廃止となった。
運航路線
編集1982年頃のもの[3]。
使用機材
編集脚注
編集- ^ a b 日本内外航空のアイランダー - 阿施光南ブログ(2016年8月7日)2017年8月21日閲覧
- ^ 日本内外航空のトライランダー - 阿施光南ブログ(2005年7月13日)2017年8月21日閲覧
- ^ 『国鉄監修 交通公社の時刻表』1982年11月号 28ページ航空路線図
- ^ a b c 事故調査報告書 2017年8月21日閲覧