日高善一

日本の牧師、聖書学者

日高善一(ひだか ぜんいち、1879年8月5日 - 1956年6月10日)は日本牧師聖書学者で「新約聖書全巻註解」を独力で執筆出版した。号は柿軒(しけん)。

ひだか ぜんいち

日高 善一
生誕 (1879-08-05) 1879年8月5日
日本の旗 日本宮崎県児湯郡美々津町
死没 (1956-06-10) 1956年6月10日(76歳没)
日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
出身校 東山学院東京神学社
職業 牧師
父:日高新一
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生涯

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幼少期

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1879年(明治12年)宮崎県児湯郡美々津町に日高新一の子として生まれる。1885年(明治18年)頃、6歳の頃より教会学校に通い、延岡藩亮文社、鹿児島簿約義塾で学ぶ。1899年(明治32年)に鹿児島日本基督教会の牧師宗像慶二郎より洗礼を受ける。

神学生時代

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1899年長崎の東山学院の3年に編入学する。その時の同級生に益富政助都留仙次がいた。宣教師のヘンリー・スタウト、A・ピータースよりオランダ改革派カルビニズム(カルヴァン主義神学)を学ぶ。

1903年(明治36年)に上京して植村正久の一番町教会(現・日本基督教団富士見町教会)の会員になる。明治学院高等学部英文科に入学する。翌年、神学部に進む。在学中に、明治学院を去り東京神学社を創立した植村に従い、1905年(明治38年)に2年生として編入する。1907年(明治40年)東京神学社の第一回卒業生になる。

牧師時代

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1907年10月按手礼を受けて、日本基督教会の牧師として、横浜太田教会、東京豊島岡教会、京都吉田教会を経て、1912年(明治45年)室町教会牧師に就任する。室町教会時代に独力で『新約聖書全巻註解』を執筆し、日曜世界社より刊行する。

1933年(昭和8年)『福音新報』主筆に就任するために、上京する。1936年(昭和11年)に日本ホーリネス教会和協分離の会合に益富らと共に出席する。

1941年(昭和16年)日本基督教団が成立すると、『教団新報』の主筆になり、豊島駒込教会牧師、日本神学校講師などをキリスト教会の重鎮を務める。

戦後になり、1956年(昭和31年)に肺腫瘍で死去する。

参考文献

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  • 都留忠明「日高善一」『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年