座標: 北緯42度55分26.5秒 東経141度32分16秒

旧島松駅逓所(きゅう しままつ えきていしょ)は、北海道北広島市島松地区[1]恵庭市島松沢、北広島市三島[2]と共に「島松沢[3]」と通称されている)にある駅逓所。国の史跡に指定。寒地稲作発祥の中山久蔵宅。札幌農学校北海道大学の前身)の初代教頭ウイリアム・スミス・クラークが、帰国の際に「青年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious.)」という言葉を残した場所としても知られる[4]

旧島松駅逓所

概要編集

国道36号の札幌と千歳空港間の北広島市・恵庭市の市境、北広島市島松1番地に所在する、1873年(明治6年)に設置された駅逓所で、木造平屋建ての建造物[4]。明治時代初期の北海道開拓時代の貴重な史跡となっている。1872年(明治5年)に着工された札幌・函館間の馬車道である札幌本道の跡である旧国道36号に面している[4]。1873年 - 1880年(明治6年 - 13年)に建築。翌年に増築。その後、小規模な改修が行われた。1990年(平成2年)から公開されている建屋は、明治14年のものと思われる平面図をもとに建物の一部が復元されたもので、木造平屋、柾葺(まさぶき)で、建坪は101坪である[4]。旧島松駅逓所の正面に向かって右手側に寒地稲作発祥の碑とクラーク博士記念碑があり、稲作発祥の碑のうしろに水田址・赤毛種見本田がある。また、駅逓所の裏にある丘には明治天皇行在所の碑、中山久蔵翁の碑などがある[5]

歴史編集

  • 1873年12月:函館 - 札幌間の札幌本道が開通。島松川の右岸(胆振国千歳郡島松村、現在の恵庭市島松沢)[6]に設置。初代駅逓取扱人は勇払場所請負人山田文右衛門[7]
  • 1875年(明治8年):山口安五郎[8]が駅逓取扱人となる。
  • 1877年(明治10年):島松村から移った中山久蔵が請人となり、鶴谷新次郎が駅逓取扱人となる。
  • 1881年(明治14年)9月2日:北海道巡幸中の明治天皇が昼食の休憩をとるための行在所となる[4]
  • 1884年(明治17年)8月:中山久蔵が駅逓取扱人となる。
  • 1897年(明治30年):廃止。
  • 1933年(昭和8年):明治天皇の島松行在所として国の史跡に指定[9]。ただし、1948年(昭和23年)、他の日本各地の明治天皇「聖蹟」とともに史跡指定は解除された[10]
  • 1946年(昭和21年):駅逓制度の廃止。
  • 1984年(昭和59年)7月25日:「旧島松駅逓所」として国の史跡に指定[11]。同年から7年間をかけて建物の修理復元工事が実施された[12]

その他編集

  • クラーク博士記念碑
    クラークの横顔のレリーフ。1877年(明治10年)4月16日、札幌農学校(北海道大学の前身)の初代教頭ウイリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)が、アメリカへ帰国の際に見送りに来た学生や職員たちと別れた場所。この場所で、「青年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious....)」の言葉を残し、馬に乗って旅立ったと言われる。
  • 寒地稲作発祥の地碑
    寒冷地での稲作の栽培に尽力した中山久蔵の功労を讃えた碑。島松駅逓所は、中山が渡島より取り寄せた赤毛種によって寒冷地稲作に成功した場所でもある[4]

祭事編集

  • 久蔵祭 - 毎年9月に開催されるイベント

関連項目編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ pdf
  2. ^ 三島神社川上小学校
  3. ^ atsites.jp
  4. ^ a b c d e f 田端、桑原、船津、関口 2000, p. 188.
  5. ^ 田端、桑原、船津、関口 2000, p. 189.
  6. ^ kitahiroshi.com
  7. ^ sapporo-kouiki.net
  8. ^ 恵庭市西島松野山口家、鶴谷家の墓 p.4
  9. ^ 『図説日本の史跡 7 近代近世1』、p.246
  10. ^ 昭和23年6月29日文部省告示第64号
  11. ^ 旧島松駅逓所 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  12. ^ 『図説日本の史跡 7 近代近世1』、p. 246

参考文献編集

  • 『図説日本の史跡 7 近代近世1』、同朋舎出版、1991
  • 田端宏、桑原真人、船津功、関口明『北海道の歴史』県史1、山川出版社、2000年9月5日、第1版。ISBN 978-4-634-32010-9