有栖川宮織仁親王

日本の江戸時代の皇族。職仁親王の七男。有栖川宮6代。家女房に八重嶋(山村則宴(右衛門尉)の娘、子に高貴宮(1776.5.10-1777.3.5、長男、尊勝院))

有栖川宮織仁親王(ありすがわのみや おりひとしんのう)は、江戸時代皇族有栖川宮職仁親王霊元天皇皇子)の第7王子。世襲親王家有栖川宮第6代当主。最後の征夷大将軍徳川慶喜の外祖父。

有栖川宮織仁親王
有栖川宮
有栖川宮織仁親王
続柄

身位 親王
敬称 殿下
出生 (1753-07-31) 1753年7月31日
宝暦3年7月2日
死去 (1820-04-02) 1820年4月2日(66歳没)
文政3年2月20日
配偶者 鷹司富子(鷹司輔平娘)
  八重嶋
  常盤木
  千坂
  清瀧
子女 高貴宮
織子女王
幸子女王
有栖川宮韶仁親王
大儀文成
承真法親王
舜仁法親王
繁宮
幾宮
尊照栄暉
煕子女王
喬子女王
弥宮
寿宮
済仁法親王
苞子女王
綽宮
万信宮
尊超入道親王
吉子女王
父親 有栖川宮職仁親王霊元天皇皇子)
母親 菖蒲小路(後藤左一郎娘)
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幼称は寿手宮(すてのみや)。宝暦12年(1762年)に桃園天皇猶子となり、翌年に親王宣下を受ける。宝暦14年(1764年)に兵部卿明和7年(1770年)に中務卿に就任。文化8年(1811年)に一品に昇進。翌年に出家。法名は竜淵。

書を九条尚実に学んだ。作品に「有栖川流手本」がある。

子女 編集

  • 妃:鷹司富子 - 鷹司輔平
  • 家女房:八重嶋 - 山村則宴娘
    • 第1王子:高貴宮(1776-1777)
  • 家女房:常盤木 - 尾崎積興養女、村井頼母娘
  • 家女房:千坂
    • 第3王子:永宮・承真法親王(1787-1841)
    • 第4王女:繁宮(1789-1790)
    • 第6王女:千鶴宮・尊照栄暉(1792-1845)
    • 第9王女:弥宮(1795-1796)
    • 第5王子:誠宮・済仁法親王(1797-1847)
    • 第11王女:嘉寧宮・苞子女王(1798-1819)
  • 家女房:清瀧 - 安藤大和守娘

外部リンク 編集