有道 惟能
時代 平安時代中期
生誕 不明
死没 不明
別名 有道
官位 従六位上武蔵権介
主君 藤原伊周
氏族 有道宿禰
父母 父:有道惟広、母:平公雅の娘
菅原薫宣の娘
惟行?
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有道 惟能(ありみち の これよし、生没年不詳)は、平安時代中期の官人刑部丞有道惟広の子。官位従六位上武蔵権介藤原伊周家令(家司)。名は維能とも記される。



略歴編集

藤原伊周の失脚により武蔵国に下向し、児玉郡を開墾した官人であると伝えられ、子息は武蔵七党の一角を占める武士団である児玉党児玉氏)の祖である児玉惟行。惟行の父については系図によって伝承が異なり、藤原伊周とするものや児玉遠岩とするものもあるが、研究者の間では、通し字や伝承の観点から有道惟能こそが惟行の実父であると考えられている。

『庄系図略図』(上里町長浜、庄宗三郎所蔵)の記述によると、「長徳元年(995年)2月、内大臣藤原伊周公家令。長徳2年(996年)正月、従六位上、武蔵権介に任ぜられ、同年2月に解職」とある。伝承によれば、武蔵介となった惟能は児玉郡を開墾し、解職後も定住したとされる。そして、その子息である惟行も児玉郡へ住み、地方豪族化した。


その他編集

  • 子息である惟行が1069年に69歳で没したと伝えられている事からも10世紀末の生まれと考えられる。
  • 有道氏(在道氏)は初め大部宿禰を称しており、大部氏が有道宿禰を賜った事は『続日本後紀』に記述されている。
  • 惟行の父を藤原伊周とする系図(有道氏の娘との間に次男惟行が生まれたとする系譜)では、惟行は父と共に長徳2年に筑紫へ流れた後、武蔵国児玉郡の阿久原牧へ下向し、有貫主となったとある。

系譜編集

参考文献編集

  • 『武蔵武士 そのロマンと栄光』
  • 『武蔵国児玉郡誌』
  • 『児玉の民話と伝説 (下巻)』
  • 『児玉町史 中世資料編』
  • 『郷土のあゆみ ―本庄の歴史―』
  • 『本庄歴史館』
  • 『本庄人物事典』

脚注編集

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  1. ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』

関連項目編集