木下利徳
木下 利徳(きのした としのり)は、江戸時代後期の大名。備中国足守藩10代藩主。官位は従五位下・肥後守。足守藩木下家11代。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政元年3月13日(1789年4月8日) |
死没 | 文政4年8月21日(1821年9月17日) |
改名 | 東五郎、利徳 |
戒名 | 隆徳院清閑元浄大居士 |
墓所 | 東京都港区高輪の泉岳寺 |
官位 | 従五位下肥後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 備中足守藩主 |
氏族 | 藤堂氏、木下氏 |
父母 | 藤堂高嶷、木下利徽 |
兄弟 |
菊松、甲、藤堂高崧、順、藤堂高兌、穀、睦、挙、藤堂高邁、湧、埴、藤堂高允、 利徳、藤堂高愨、藤堂高醸、藤堂高秭、 そよ、彩、つれ、絃、延 |
妻 | 木下利忠娘 |
子 | 利愛 |
略歴
編集文化2年(1805年)7月29日、先代藩主・木下利徽の養嗣子となる。同年閏8月16日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。同年9月5日、利徽の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下・肥後守に叙任した。
文政4年(1821年)8月21日に33歳で死去し、跡を利徽の実子で順養子にした利愛が継いだ。法号は隆徳院で清閑元浄大居士。墓所は東京都港区高輪の泉岳寺。