本多 勝行(ほんだ かつゆき)は、江戸時代前期の大名播磨姫路新田藩主、大和国郡山新田藩主。本多政勝の長男。

 
本多勝行
時代 江戸時代前期
生誕 寛永12年(1635年
死没 慶安3年6月11日1650年7月9日
別名 八郎兵衛(通称)
幕府 江戸幕府
播磨姫路新田藩主→大和国郡山新田藩
氏族 本多氏
父母 父:本多政勝、母:有馬直純の娘
兄弟 勝行政利忠英
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生涯 編集

寛永15年(1638年)、父の政勝が宗家の家督を継いで姫路藩主となると、政勝の旧領だった4万石を与えられた。寛永16年(1639年)3月3日、政勝が松平忠明と入れ替わりで大和国郡山藩に移封されると、播磨での4万石を郡山城廓住料として大和国内で与えられた。

慶安3年(1650年)6月11日、16歳で死去した。無嗣の為にその遺領は一度政勝に還付され、改めて承応2年(1653年)に義兄の政長が3万石、政信が1万石をそれぞれ分与されている。