札幌スキー場

北海道札幌市に存在したスキー場

札幌スキー場(さっぽろスキーじょう)は北海道札幌市南区藻岩山にかつて存在したスキー場である。同じく藻岩山に存在する札幌藻岩山スキー場とは別物である。

札幌スキー場
所在地 北海道札幌市南区
座標 北緯43度1分52秒 東経141度19分06秒 / 北緯43.03111度 東経141.31833度 / 43.03111; 141.31833
開業日 1946年
廃業日 1958年
造設地形 藻岩山
地図
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札幌スキー場 全景

概要 編集

札幌スキー場[1]は、1946年に日本で初めてのリフト[2]を備えたスキー場として、藻岩山に開かれた。日本初のスキーリフトとされることの多い志賀高原丸池スキー場のリフトは、1947年1月20日に試運転をしているが[3]、札幌スキー場はその前年の12月24日に運転を開始している[4][5]

札幌スキー場は、進駐軍専用として開かれたものであり、原則として日本人は使用することができなかったが、プロスキーヤーの三浦雄一郎は、当時「私は学生で通訳ができる」と言っては札幌スキー場のリフトに乗ったと語っている[3]。 札幌スキー場は、藻岩山の北東斜面に開かれており、現在の札幌藻岩山スキー場とは違う斜面であった。第1リフトは現在の藻岩浄水場近辺に乗り場が、「慈恵会病院前登山コース」の通称「砲台跡」と呼ばれている箇所に降り場が設置された。現在でも、第1リフト降り場のコンクリート礎石や原動機設置跡が残されている。第1リフトは、全長983メートル、木製支柱11基、木製2人乗搬器44個からなる設備であった。高低差は164mあり、1時間当たり100人の輸送能力があった。

第1リフトの他に、第1リフト降り場から山頂へ向けた第2リフト、トボーガン(ボブスレー)コース、20m級シャンツェ、将校用及び下士官用のロッジなどが建設され、総合スキー場の体をなすものであった。工事の設計・監督は堂垣内尚弘(後の北海道知事)が行い[6]安全索道が施工している[7]

札幌スキー場は、進駐軍撤退の後もしばらくの間は市民スキー場として使われていた。1958年2月の第13回国民体育大会スキー大会でスラロームのコースとして使用されたのを最後として、自然保護を図るため使用禁止となり、天然林による自然回復を図っている。コース跡は長らく、札幌市街地から見えていたが、現在では樹木に覆われ、判別は難しい。

なお、第二スキーコースの上部は、藻岩山山頂コースとして2005年(平成17年)まで、スキーコースとして活用された。現在、札幌もいわ山ロープウェイのミニケーブルカー(もーりすカー)が敷設されている箇所(中腹駅~山頂駅)には、シングルリフトが設置され、ロープウェイと同様に札幌市交通局(1985年からは札幌交通開発公社[8])により運営されていた。小中学生は無料でリフトに乗車することができたため、札幌藻岩山スキー場(株式会社りんゆう観光)の回数券を使い果たした小中学生が、山頂コースに移動して滑り続ける様子も多く見られた。

脚注 編集

  1. ^ 1946年 米駐留軍向け2人乗りリフト 国内初のスキーリフト”. 安全索道株式会社. 2023年1月4日閲覧。
  2. ^ 札幌市. “「日本初のスキーリフト」跡(藻岩山中腹)”. 札幌市. 2023年1月4日閲覧。
  3. ^ a b 鹿島の軌跡 第23回 日本初のスキーリフト”. 鹿島建設. 2022年11月2日閲覧。
  4. ^ 真田英夫「堂垣内尚弘先生の足跡を訪ねて(ii) ――札幌スキー場の建設――」(PDF)『コンサルタンツ北海道』第112号、公益社団法人日本技術士会北海道本部、39-43頁。 
  5. ^ 土木学会誌「新設札幌スキー場について」(PDF)『土木学会誌』第三十二巻 第一号(1947年)、土木学会、22-24頁。 
  6. ^ 道立体育センターを構想、白鳥大橋の実現に汗」『建設グラフ』1998年7月号、自治タイムズ社。 
  7. ^ 企業情報 沿革”. 安全索道. 2022年11月2日閲覧。
  8. ^ 会社概要 - 会社沿革”. 株式会社札幌振興公社. 2023年1月6日閲覧。

外部リンク 編集