村山哲也
日本人サッカー指導者
村山 哲也(むらやま てつや、1974年10月20日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
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名前 | ||||||
カタカナ | ムラヤマ テツヤ | |||||
ラテン文字 | MURAYAMA TETSUYA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1974年10月20日(48歳) | |||||
出身地 | 東京都 | |||||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
2019 | サムットプラーカーン・シティFC | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴編集
選手時代はプロの経験がなく三菱養和サッカークラブでプレーしていた。引退後は同クラブのコーチを務めるが、この時の教え子に小川佳純がいる[1]。その後、ガンバ大阪でジュニアコーチ、ジュニアユースコーチ、強化部強化担当を歴任。清水エスパルスでチーフスカウトを務めた後、ジェフユナイテッド千葉で育成普及部コーチ、強化部スカウトを歴任し、保善高等学校特別コーチを経て、2012年にサンフレッチェ広島のユースコーチに就任する[2][3]。後に強化部スカウトに就任し松本泰志らを発掘する[1]。2018年にティーラシン・デーンダーが広島に期限付き移籍するが、彼との出会いがタイ行きに影響を与える[4][5]。
日本での22年のキャリアを経て、2019年1月にタイ・リーグ1のサムットプラーカーン・シティFCのテクニカルダイレクターに就任[3][5]。1月28日、監督のスラポン・コンテープとともにチョンブリー県で開催されたAFCプロフェッショナル・コーチング・ディプロマの講習会に参加。この講習会には他に加藤光男、薛琦鉉、金南一らが参加している[6]。
6月14日、前任者のスラポンの退任に伴い、サムットプラーカーン・シティ監督に就任[7][4]。リーグ6位でシーズンを終了して監督職を退任。鹿島アントラーズや大宮アルディージャを指揮した石井正忠が後任となった。
注釈編集
- ^ a b “昌平高校・松本泰志選手 サンフレッチェ広島入団記者会見 会見後の村山哲也・サンフレッチェ広島強化部スカウトコメント”. J SPORTS (2016年10月6日). 2019年9月14日閲覧。
- ^ “【広島】ユースコーチに村山氏”. 日刊スポーツ (2012年4月2日). 2019年9月14日閲覧。
- ^ a b “村山哲也氏 サムットプラーカーン・シティFC(タイリーグ1部)クラブダイレクター就任のお知らせ”. サンフレッチェ広島 (2019年1月16日). 2019年9月14日閲覧。
- ^ a b “『小規模クラブを躍進させる手腕。タイサッカーの発展に貢献する男、村山哲也』”. フットボール・トライブ (2019年8月26日). 2019年9月14日閲覧。
- ^ a b 佐々木裕介 (2019年9月11日). “タイ1部リーグで旋風を巻き起こす日本人指導者。快進撃をもたらした指揮官が明かす舞台裏とは”. サッカーダイジェスト. 2019年9月14日閲覧。
- ^ “สมาคมฯ จัดอบรมโค้ชหลักสูตร โปร ไลเซนส์ รุ่นที่ 2 ณ จังหวัดชลบุรี” (タイ語). タイサッカー協会 (2019年1月28日). 2020年1月31日閲覧。
- ^ “元サンフレッチェ広島強化部の村山哲也氏がタイリーグ1部サムットプラカーン・シティの監督に就任。現在4位、リーグタイトルも射程圏”. フットボール タイランド (2019年6月15日). 2019年9月14日閲覧。