大宮アルディージャ
大宮アルディージャ(おおみやアルディージャ、Omiya Ardija)は、日本の埼玉県さいたま市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
大宮アルディージャ | |||
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原語表記 | 大宮アルディージャ | ||
呼称 | 大宮アルディージャ | ||
愛称 | アルディージャ・栗鼠 | ||
クラブカラー | ホワイト[1] | ||
創設年 | 1969年 | ||
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ | ||
所属ディビジョン | J2リーグ | ||
クラブライセンス | J1 | ||
ホームタウン | 埼玉県さいたま市[1] | ||
ホームスタジアム | NACK5スタジアム大宮[1] | ||
収容人数 | 15,491[1] | ||
運営法人 | エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社[1] | ||
代表者 | 未定 | ||
監督 |
![]() | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 未上場 |
本社所在地 |
![]() 〒330-0803 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-20-1[1][2] |
設立 | 1998年12月4日[2] |
業種 | サービス業 |
法人番号 |
9030001001309 ![]() |
事業内容 | サッカークラブの運営 |
代表者 | 鈴木茂[1][2] |
資本金 | 1億円 (2020年1月期)[3] |
売上高 | 34億5400万円 (2020年1月期)[3] |
営業利益 | ▲400万円 (2020年1月期)[3] |
経常利益 | 0万円 (2020年1月期)[3] |
純利益 | 0円(2020年01月31日時点)[4] |
純資産 | 1056万8000円(2020年01月31日時点)[4] |
総資産 | 15億1236万3000円(2020年01月31日時点)[4] |
決算期 | 1月期 |
主要株主 |
東日本電信電話[2] NTTドコモ[2] NTTデータ[2] 他 |
外部リンク |
www |
概要編集
1969年創部の電電関東サッカー部が前身であり[1]、1999年にJリーグへ加盟した[1]。ホームスタジアムはNACK5スタジアム大宮、練習場は大宮アルディージャ練習場(さいたま市西大宮サッカー場)である(詳細は#ホームスタジアム・練習場を参照)。運営会社はエヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ(NTTスポーツコミュニティ)株式会社である[1]。
クラブ名の「アルディージャ(Ardija)」は、スペイン語でリスを意味する「Ardilla」に由来[1] し、読みやすいように変更した造語(Ll参照)である[5] 。なお、リスは、大宮市(現:さいたま市)が1990年の市制施行50周年記念の際に定めたマスコットである[1][5]。
歴史編集
前史編集
1969年に旧浦和市で結成された電電関東サッカー部が前身であり[1]、1987年から1992年まで日本サッカーリーグ2部に在籍した。1998年、旧大宮市をホームタウンとしてチーム名を「大宮アルディージャ」へ改称[1]。
1998年12月、東日本電信電話[注 1] が中心となりNTTドコモ、NTTデータ、NTTファシリティーズ、NTTコムウェア、日本コムシスなどのNTTグループおよび関連企業18社が出資して運営会社となる「エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社」が設立された[1]。
1999年 - 2004年(J2)編集
1999年、オランダ人のピム・ファーベークが監督に就任。序盤は首位争いをしていたが、その牽引役だったFWヨルン・ブーレが深夜の都内で暴漢に襲われ左眼失明の重傷を負って引退して以降失速し、最終成績はリーグ6位。
2000年、三浦俊也が監督に就任。この年、初めて浦和との「さいたまダービー」が行われた(大宮の1勝3敗)。
2001年、第11節から12連勝(ただし延長Vゴール勝ち3試合を含む)を記録するなど、前半戦を17勝(うちVゴール勝ち4)3分2敗の勝点50、2位京都に勝点差5の首位で終え、第8節から第24節まで17戦連続負けなしで、第15節からは首位に立ったが、後半戦はFWジョルジーニョおよびパナマ代表FWのバルデスが共に重傷を負い、後半戦より加入したバレーが活躍したものの、第25節新潟戦で延長Vゴール負けを喫してから3連敗し第27節には2位、第30節にはJ1昇格圏外の3位に陥落、第33、35、36節には再度2位となったものの、第37節川崎戦に敗れ3位陥落して以降は昇格圏に戻れず、後半戦は9勝(うちVゴール勝ち2)3分10敗で勝点28しか挙げられず、年間勝点は78、優勝した京都に勝点差6をつけられ最終順位は5位であった。なお、この年限りで三浦は監督を辞任した。
2002年は、前半戦は4位と8位の間を推移、後半戦は第40節まで5位で、第41節に6位に落ち、結局1度も昇格圏内に入れず6位でシーズンを終えた。
2003年は、第2節から3連勝し第7節まで6戦負けなし、第6、7節には昇格圏内の2位に浮上するも、第8節に3位に落ちて以降1度も昇格圏内に入ることなく、最終的に前年と同じ6位でシーズンを終えた。
2004年、3シーズンぶりに三浦が監督に就任。11月20日の水戸戦で勝利してJ1自動昇格条件の2位以上を確定。シーズン2位の成績で2005年からのJ1昇格を決めた。
2005年 - 2014年(J1)編集
2005年編集
- クラブスローガン :「「Departure」→走り出す大宮→」
三浦体制2年目。元ブラジル代表のFWクリスティアンや、地元大宮出身のFW桜井直人、元日本代表MF藤本主税などを補強。
リーグ戦は第16節時点で7位につけたが、リーグ戦15試合で6得点のクリスティアンがサンパウロFCに移籍した。また、桜井をはじめ故障者が続出し、第22節から第28節まで7連敗。第28節時点で16位まで順位を下げたが、レアンドロ、若林学らの活躍もあり第29節から4連勝して、最終成績は13位。優勝したG大阪に2戦2勝だったほか、ホームのさいたまダービーに勝利した。ナビスコ杯はベスト8。天皇杯はベスト4へ進出した。
2006年編集
- クラブスローガン :「OMIYA EXPRESS 加速するオレンジ魂」
三浦体制3年目。柏からDF土屋征夫、波戸康広、東京VからMF小林慶行、小林大悟、神戸から佐伯直哉を獲得し、またFWには吉原宏太(G大阪)、サウル・マルティネス(前・上海申花・ホンジュラス代表)、GK江角浩司(前・大分)など各ポジションに選手を補強、シーズン途中に元磐田のFWロドリーゴ・グラウを獲得した。しかし、マルティネスは不振のため4月末で解雇され、グラウはレンタル移籍であったが本人の希望により契約延長せず、わずか3ヶ月で退団した。
シーズン終盤にブラジル人FWのアリソンを補強したが、チーム浮上のきっかけとはならず、12位でシーズンを終えた。シーズン終了後、三浦が監督を退任。
2007年編集
- クラブスローガン :「シンカ ~進化、真価、深化」
かつて監督を務めたピムの弟であるロバート・ファーベークが監督に就任。トニーニョが退団。久永辰徳はレンタル期間満了(福岡へ復帰)、土屋が東京Vへ完全移籍した。リーグ戦は前半戦で3勝7分8敗の16位(入れ替え戦圏内)と低迷。ロバートは解任され、強化育成部長の佐久間悟が監督に就任。 その後もチームの調子は急浮上と行かなかったものの、15位でJ1残留となった。
2008年編集
- クラブスローガン :「シンカ NEXT~進化、真価、深化」
三浦の監督退任時からオファーを出していた山形元監督の樋口靖洋が監督に就任。樋口は攻撃的なサッカーを志向し、第14節時点で7位につけたが、後半は無得点記録と6連敗を記録し、12勝7分け15敗の12位でシーズンを終えた。同年限りで樋口は退任となった。
2009年編集
- クラブスローガン :「橙想心 AGGRESSIVE SHIFT 2009」
監督に東京Vや札幌で指揮を執っていた張外龍が就任。GK荒谷弘樹(札幌へ)、MF佐伯直哉(千葉へ)、MF小林大悟(ノルウェー1部・スターベクIFへレンタル)、FW吉原宏太(水戸へ)が移籍した。
補強面では札幌にレンタル移籍していたGK高木貴弘が復帰した他、湘南からFW石原直樹、鳥栖からFW藤田祥史、韓国・水原からDFマト、浦項からMF朴原載が移籍加入。またレンタル移籍であったMF内田智也が完全移籍となった。
開幕当初から主将のMF小林慶行などケガ人が続出したうえ、その小林慶が張の構想から外れて柏へレンタル移籍するなど苦戦が続き、シーズン終盤で辛くもJ1残留を果たすに留まった。 また、“アルディージャの誓い”の中に目標として掲げていた「2009年までに年間観客動員300,000人!」をリーグ戦ホーム最終戦(J1残留を決めた柏戦)で達成した(後に水増しであったことが発覚)。
2010年編集
- クラブスローガン :「橙想心 より強く、より高く、より深く」
張体制2年目。主力選手だったDF波戸康広が横浜FMへ、DF冨田大介が神戸へ、MF片岡洋介は京都へ移籍したが、新潟の正GKだった北野貴之、大分からDF深谷友基、甲府からDF杉山新らを獲得した。また、開幕直前にはDF塚本泰史が右大腿骨の骨肉腫を患っていたことが明らかになった。
3月7日のC大阪戦に3-0で勝利し、第1節終了時ではあるが、チームとして初のJ1単独首位に立ったが、第8節終了時で1勝2分5敗の成績で、張が監督を辞任。後任に元新潟監督の鈴木淳が監督に就任すると、チーム状態は上向き、結果的にホーム最終戦の第33節でJ1残留を決めた。
10月2日に埼玉スタジアムで行われた浦和戦で観客数水増しが発覚、発覚当初、クラブ側は全面否定したものの、翌日にリーグ事務局の本格調査が入ると一転して4,000人以上の水増しを認め、10月19日に渡邉誠吾は代表取締役を辞任した。2007年11月以降に主管した58試合で観客数を水増しし、その合計は111,737人であった[6]。11月16日、社団法人日本プロサッカーリーグより譴責(始末書の提出)および制裁金2000万円の処分が課せられた[7]。
2011年編集
- クラブスローガン :「上昇宣言 ~リスの木登り~」
鈴木体制2年目。マトと李浩が退団。安英学が柏へ、藤田祥史が横浜FCへ、内田智也が甲府へ完全移籍。市川雅彦が東京Vへレンタル移籍。レンタル移籍で加入していた多田大介は鳥取へ移籍した。土岐田洸平(大分)、新井涼平(FC岐阜)のレンタル移籍期間も延長された。
一方、京都から片岡洋介が復帰。同じく京都から渡邉大剛、FC東京から金英權、大分から東慶悟、磐田から上田康太が完全移籍で加入し、レンタル移籍だった坪内秀介は完全移籍となり、清水慎太郎が加入した。8月にはCRヴァスコ・ダ・ガマから、7月までC大阪に所属していたホドリゴ・ピンパォンをレンタル移籍で獲得した。
リーグ戦は連勝も連敗(3連敗が1度だけ)もないという星取りで、ホームゲームで勝てない(8月27日の第24節・磐田戦でようやく1勝目。12月3日の第34節・甲府戦で2勝目)という状況だったが、11月19日の第32節・鹿島戦前にJ1残留が確定。最終順位は13位と、はじめて浦和レッズより上位でシーズンを終えた。天皇杯は初戦で福岡大学にPK戦で敗退した。12月には選手としての早期復帰が見込めなかった塚本泰史との契約を解除した(翌年1月にアンバサダーに就任)。
2012年編集
- クラブスローガン :「上昇宣言2012 ~リスの木登り~」
鈴木体制3年目。ホドリゴ・ピンパォン、李天秀が退団。7年間在籍していた藤本主税が熊本に、石原直樹が広島に、杉山新が横浜FCに、2年間岐阜にレンタル移籍していた新井涼平が北九州に完全移籍。木原正和が福岡へ、宮崎泰右が湘南にレンタル移籍。富山にレンタル移籍していた福田俊介、大分にレンタル移籍していた土岐田洸平はレンタル移籍期間延長となった。
補強としては新潟からチョ・ヨンチョル、川崎から菊地光将、山形から長谷川悠、G大阪から下平匠を完全移籍で獲得。また、新外国人選手としてサンパウロFCからカルリーニョスを期限付き移籍で獲得し、市川雅彦をレンタル移籍から復帰させた。
シーズン開始後、第2節終了時に8位であったが、2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選によるリーグ戦中断直前の第13節終了時点で15位の順位であった。5月、監督の鈴木、ヘッドコーチの石井知幸を解任し、6月に千葉などの元監督のズデンコ・ベルデニックが監督に、ユースコーチだった井上卓也がヘッドコーチにそれぞれ就任した。戦力面では7月にFWラファエルがボタフォゴFRへ移籍した一方、FWノヴァコヴィッチ、ズラタンやDF河本裕之を獲得した。第24節時点で17位に順位を落としたが、第24節・浦和戦(引分)から最終節までリーグ戦11戦連続(5勝6分)、天皇杯を含めて公式戦13試合連続負けなしを記録。第33節の磐田戦に勝利した時点でJ1残留を確定。最終順位は13位。
2013年編集
- クラブスローガン :「大宮共闘」
ベルデニック体制2年目。市川雅彦が退団。東慶悟がFC東京に、深谷友基が大分に完全移籍。レンタル移籍していた木原正和(福岡)、土岐田洸平(大分)が完全移籍に移行。河本裕之は期限移籍満了で神戸に復帰。金久保順は福岡に、イ・グノが北九州にレンタル移籍した。
補強は東京Vから高橋祥平を、レンタル移籍だったカルリーニョスが完全移籍で獲得。福田俊介、宮崎泰右がレンタル移籍から復帰。富山貴光、今井智基、川田修平が加入した。
リーグ戦は、前年後半からの無敗を継続。第7節浦和戦で鹿島が持っていたJ1連続無敗記録を更新すると、次の柏戦で首位に立ち、第11節仙台戦で敗北を喫するまでにJ1記録を21(13勝8分)に伸ばした。ナビスコカップはグループリーグ敗退。J1リーグ戦でも、コンフェデレーションズカップによる中断明けの7月、第16節から連敗を喫し、5連敗目となった第20節の翌日の8月11日にベルデニックを解任して、小倉勉が監督に就任。なお、カルリーニョスが磐田へ、清水慎太郎が岡山へレンタル移籍したが、仙台から和田拓也、元シドニーFCでオーストラリア代表のニールを補強した。しかし、小倉指揮下でもJ1リーグ戦で連敗を止めることができず、結果的に連敗は8まで伸びたが、第24節横浜F・マリノス戦で連敗を止めた。第25節から第32節までシーズン2度目の8連敗を喫したが、第33節・第34節と連勝して最終順位は14位。なお、第34節湘南戦の勝利により、J1通算100勝を達成した。シーズン終了後に小倉が監督を退任した。また、岡本武行がGM、古矢武士が強化部長をそれぞれ退任した。
2014年編集
- クラブスローガン :「大宮共闘」
元FC東京監督の大熊清が監督に就任。橋本早十がタイのチョンブリーFCへ、青木拓矢が浦和へ、下平匠が横浜FMへ、鈴木規郎が仙台へ完全移籍、宮崎泰右が群馬へ、福岡へレンタル移籍した金久保順が川崎へ、北九州へレンタル移籍していた李根鎬がJ3・ブラウブリッツ秋田へレンタル移籍、清水慎太郎(岡山)のレンタル移籍期間が延長、ノヴァコヴィッチがレンタル移籍期間満了(後に清水へ移籍)、ニールが退団した。
一方でC大阪から横山知伸を、FC東京から中村北斗を、水戸から橋本晃司を、RCDマヨルカから家長昭博を完全移籍で獲得。藤井悠太、高瀬優孝、大山啓輔、泉澤仁が加入した。
リーグ戦では、開幕2戦で連敗後、第3、4節と連勝し一旦8位まで順位を上げるものの、直後の第5節から4連敗を含む7試合未勝利となり、第12節時点で17位に順位を下げた。また、12節以降、ワールドカップによる中断期間前まで公式戦勝利から遠ざかる。ワールドカップによる中断中には2010年W杯セルビア代表のムルジャをレッドスター・ベオグラードから、またチョ・ウォニを慶南FCからそれぞれ補強した一方、チョ・ヨンチョルがカタールSC、ジェナン・ラドンチッチが大分トリニータにそれぞれ移籍した。
中断期間終了後もリーグ戦10試合連続未勝利となった第24節終了後の8月31日に監督の大熊を解任し、コーチの渋谷洋樹が監督に就任した。渋谷の就任後は11戦で5勝1分5敗であったが降格圏から脱することが出来ず、16位で迎えた最終節はセレッソ大阪に2-0で勝利したものの、15位の清水エスパルスが引き分けたため、J2降格が決定した。
2015年(J2)編集
- クラブスローガン :「挑む 頂点へ、未来へ」
渋谷体制2年目。塩田仁史がFC東京から、加藤順大を浦和から、河本裕之と大屋翼を神戸から、横谷繁を京都から、播戸竜二を鳥栖からいずれも完全移籍で獲得し、高山和真と小島幹敏が大宮ユースから昇格し、清水慎太郎が岡山から復帰した。
一方、北野貴之とチョ・ウォニが退団し、増田誓志はレンタル終了で蔚山現代へ復帰し、江角浩司が富山へ、中村北斗が福岡へ、高橋祥平が神戸へ、橋本晃司が川崎へ、長谷川悠が徳島へそれぞれ完全移籍した。
リーグ戦は序盤はもたつき、第2節と第5節は、13位、10位と2桁順位になっていたが、着々と勝ちを積み重ね、第15節からは首位を一度も譲ることがなかった。第41節では、大分トリニータ相手に二失点をしながらも、家長昭博、ドラガン・ムルジャなどの活躍で、逆転した。
2016年 - 2017年(J1)編集
2016年編集
- クラブスローガン :「挑む より高みへ、未来へ」
渋谷体制3年目。昇格初年度の目標として「勝ち点48」「年間順位7位から12位」を掲げた。
沼田圭悟を讃岐から、岩上祐三を松本から、江坂任を群馬から、奥井諒を神戸から、ネイツ・ペチュニクを千葉から、松井謙弥を川崎から完全移籍で獲得。
一方、カルリーニョスが徳島、藤井悠太が横浜FC、片岡洋介が鳥取、富山貴光が鳥栖、渡邉大剛が釜山アイパークへ完全移籍、清水慶記・高瀬優孝が群馬、川田修平が栃木へレンタル移籍した。
開幕から順調に勝ち点を積み上げ、第13節鳥栖戦で江坂のあげたヘディングゴールで、J1通算400ゴールを達成した。また、家長が日本人選手ではJ1初となる二桁得点を達成した。
第28節広島戦で6試合を残してJ1残留を確定。また、続く第29節の川崎戦も3-2で勝利し、クラブJ1過去最高の勝ち点46以上を確定。さらに今まで勝ちのなかったカシマサッカースタジアムでの第31節鹿島戦でも、3-1の勝利を収めて勝ち点を50に伸ばし、シーズンの目標である勝ち点48を達成した。最終節では、FC東京に1‐0で敗れ、ACLの出場可能性のある4位には届かなかったものの、最終的にJ1では最高成績の5位でシーズンを終えた。
2年ぶりに挑んだJリーグカップでは、予選トーナメント2位の成績で2005年以来の決勝トーナメントに進出。前回進出時と同じく横浜・F・マリノスとの準々決勝では、ホームでの第1戦は2-1で勝利するも、アウェーでの第2戦は0-1となり、2戦合計のスコアは2-2もアウェーゴールでは劣るため、準々決勝敗退となった。
天皇杯では2005年以来2度目のベスト4まで勝ち上がったが、川崎フロンターレに0-1で敗戦して今シーズンが終わった。
2017年編集
- クラブスローガン :「挑む ~より強く、未来へ。~」
渋谷体制4年目。
瀬川祐輔を群馬から、茨田陽生を柏、長谷川アーリアジャスールを湘南、大前元紀を清水から完全移籍で獲得し、マテウスが完全移籍に移行した。
一方、福田俊介が昨年シーズン途中から期限付き移籍していた北九州へ完全移籍したほか、家長昭博が川崎、泉澤仁がG大阪、川田修平が昨年期限付き移籍していた栃木SCへそれぞれ完全移籍、小島幹敏が水戸、横山知伸が札幌、川田拳登が群馬へ期限付き移籍した。
リーグ戦では開幕から6連敗で最下位に沈み、第7節清水戦を1-1で引き分け連敗を止めリーグ戦初勝点を挙げるも、続く第8節G大阪戦では6失点を喫し惨敗。第9節のさいたまダービーで首位浦和からシーズン初勝利を挙げるも、その後も低迷。5月27日の第13節柏戦で4失点し敗戦すると、翌5月28日に監督の渋谷とヘッドコーチの黒崎久志を解任し、後任として伊藤彰の監督就任、海本慶治のヘッドコーチ就任を発表した[8][9]。
監督交代後も成績は向上せず、残り3試合となった段階でフロントは2度目の監督交代を決断。伊藤と強化本部長の松本大樹を解任し[10][11]、5月まで鹿島の指揮を執っていた石井正忠(前身のNTT関東出身)が監督に、スカウト担当の西脇徹也が強化本部長に就任した[12][13]。しかしながら石井就任後の第32節・続く第33節でも勝利できず、J2降格が決定。リーグ戦中断期間に補強したマルセロ・トスカーノ、カウエ、キム・ドンスも振るわなかった。最終結果は5勝10分19敗で最下位の18位に終わった。
YBCルヴァンカップでは、グループステージ6試合中4試合を終了した時点で2分2敗となり、この時点で決勝トーナメント進出の可能性が断たれ、最後の2試合は勝利したものの2勝2分2敗の4位でグループステージ敗退となった。
2018年 -(J2)編集
2018年編集
- クラブスローガン :ONE 勝利のために
スローガンは石井を中心にして考案された[15]。
石井体制2年目。大型改革を行い、原崎政人 大塚真司 藤原寿徳 大塚慶輔がコーチに就任。
入:合計9名
出:合計13名
- 完全移籍:9名
- 期限付き移籍:4名
シーズン中
基本フォーメーションは4-4-2に固定し、42試合中39試合を4-4-2で戦い抜いた[16]。
戦術においては、石井の前所属 鹿島と同様に、堅守速攻をベースにした攻撃的な中央攻撃とショートカウンターが多くなった[17]。石井は開幕前から1年を通して「アグレッシブに前に出る」ということを提唱[14][18][19]。 シーズン終了時65得点という記録を出し、大前元紀が24得点で得点王になるが、守備に難があり48失点となった。
シーズン終了時の大宮を首位の松本山雅FCと比較すると、松本山雅の54得点は大宮の65得点を11点下回っているが、松本山雅の34失点は大宮の48失点を14点下回っている。
「J2優勝」を目標に掲げ、クラブ創立20年目のシーズンに臨んだ[20]。開幕戦・甲府戦では勝利を収めたものの、第9節終了時点で2勝1分5敗と黒星が先行し、19位まで順位を落とす。翌第10節から第12節まで3連勝しシーズン初の連勝を記録すると、その後は成績が向上。第16節からは第21節まで6戦負け無しを記録し、前半戦を8位で折り返した。
後半戦も最初の2節を連勝し、第24節・徳島戦に敗れるまでの8試合にまで無敗記録を伸ばした。第29節で開幕戦以来のJ1参入プレーオフ圏内となる5位に浮上し、その後の試合は松本・大分・横浜FC・町田[注 2]・東京V・福岡とJ1昇格枠を争う展開となった。第39節から最終節開始前まで昇格圏外の7位に順位を落としたが、最終節・岡山戦で菊地光将のゴールにより勝利を収めると、プレーオフ圏を争っていた東京V・福岡が引き分けた事により5位に浮上し、参入プレーオフ出場が決定した。
参入プレーオフ1回戦では、6位・東京Vと対戦。レギュレーションに基づきリーグ戦上位の大宮は引き分けの場合でも2回戦進出となる状況であったが[21]、東京V側が退場者を出し、11人対10人と数的有利の状況の中で後半26分に失点[21]。その後スコアは動かず、0-1で敗戦しプレーオフ敗退。来季のJ2残留が決定した。
シーズン終了後に石井が監督を退任。
2019年編集
- クラブスローガン :121%ORANGE
前長崎監督の高木琢也が監督に就任。昨シーズンと比べ、大規模改革や人事異動などは行われず、コーチ陣は続投、移籍も少数に留まった。
入:合計7名
- 完全移籍:3名
- 期限付き移籍より復帰:2名
- 新加入:2名
出:合計9名
- 完全移籍:4名
- 期限付き移籍:3名
- 契約満了:2名
シーズン中
大宮が長年採用し続けてきた4バックの伝統を破り、3バックを取り入れ、高木の前所属 長崎と同様に3-4-2-1を基本フォーメーションとし、4バックは1度のみ使用[22]。
3バックへと変更を行ったことで、サイド攻撃が減少し、カウンターによる中央攻撃が多くなった。同時に、昨シーズンよりもポゼッション比率が減少[23]。
3月23日の水戸戦から6月29日の金沢戦までの3ヶ月間16戦連続無敗を記録し、首位に立つなど好調を見せていた。
昨シーズンの48失点よりも8点少ない40失点に抑え、得点数においても昨シーズンの65得点と同等の62得点を記録したが、他チームとの接戦の末僅差でJ1自動昇格圏に入れず3位でシーズンを終え2年連続で参入プレーオフに回った。
プレーオフでは1回戦でシーズン6位のモンテディオ山形と対戦したが0-2で敗戦。2年連続の1回戦敗退となった。
2020年編集
- クラブスローガン :WIN☆WIN
高木体制2年目。昨シーズンとは打って変わり、大規模な改革が行われた。
コーチの原崎政人 藤原寿徳が退任し、北嶋秀朗 松本拓也がコーチに就任。
選手においては、背番号10番・エース・キャプテンを兼任していた大前元紀を始め、得点源のフアンマ・デルカド、ベテラン選手、成績不振の選手を放出。期限付き移籍選手を含め、合計17名もの大量放出となった。
入:合計13名
- 完全移籍:6名
- 期限付き移籍より復帰:3名
- 期限付き移籍:1名
- 新加入:3名
出:合計17名
- 他クラブへの期限付き移籍→第3クラブへの完全移籍:1名
- 期限付き移籍:4名
- 契約満了:3名
- 引退:1名
シーズン中
開幕より4連勝し、第2節より第4節まで首位に立った直後に連敗。その後2位を維持したが、第9節 福岡戦直前に福岡MF 前寛之の新型コロナウイルス感染判明により中止となった後、第10節よりシーズン前半最後の第21節まで福岡戦の振替試合を含む13試合中、1勝5分7敗と不調に陥り、シーズン前半終了時点で勝点26、2位との勝点差17となり15位となる。
シーズン後半は開始より連勝し10位となるが、第17節より第21節まで6試合未勝利、第24節より第30節まで7試合未勝利となり、17位にまで低迷。決定力不足により横浜FCで出場機会が減っていたイバを補強するが、それでも得点は増えず、チーム低迷に加え怪我人が続出する事態となり、期限付き移籍中の選手の呼び戻しを含んだ緊急補強が多く行われた。しかし、チーム低迷は収まらず、第34節終了時点で2位との勝点差が26となり、残り8試合時点で年間順位3位以下が確定し翌シーズンJ1復帰の可能性が完全消滅となった。
2021年編集
成績編集
ダービーマッチ編集
タイトル編集
国内タイトル編集
各種記録編集
項目 | 記録 | 時期 | 対戦相手、結果および試合会場 |
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最多連勝 | 13連勝 | 2004年J2第32~44節 | |
最長無敗期間 | 21試合 | 2012年J1第24~2013年J1第10節(うち引分8試合)[注 3] | |
最多連敗 | 8連敗 | 2013年J1第16~23節、第25~32節 | |
最長未勝利期間 | 10試合 | 2003年J2第8~17節 (うち引分4試合) | |
最多得点試合 | 6得点 | 2019年J2第22節 | 鹿児島ユナイテッドFC 6-0 (NACK5スタジアム大宮) |
最多失点試合 | 6失点 | 2000年J2第14節 | 浦和レッズ 0-6 (大宮公園サッカー場) |
2003年J2第21節 | コンサドーレ札幌 2-6 (札幌ドーム) | ||
2017年J1第8節 | ガンバ大阪 0-6 (市立吹田サッカースタジアム) | ||
最多入場者数 | 29,575人 | 2010年J1第25節 | 浦和レッズ (埼玉スタジアム2002) |
42,346人 | 2009年J1第29節 | 川崎フロンターレ (埼玉スタジアム2002) | |
最少入場者数 | 5,627人 | 2011年J1第18節 | ヴィッセル神戸 (NACK5スタジアム大宮) |
844人 | 2000年J2第35節 | モンテディオ山形 (大宮公園サッカー場) |
- 入場者数の上段は水増しが発覚した2010年J1第25節以降の数値。なお、下段(灰色、小文字)は2010年J1第24節以前(水増し発覚以前)の参考数値。
ホームスタジアム・練習場編集
ホームスタジアムはさいたま市大宮公園サッカー場(NACK5スタジアム大宮 略称はNACK)であり、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場でも不定期にホームゲームを開催する。なお、過去の開催スタジアムは下表を参照のこと。
練習場は2013年よりさいたま市西区の「大宮アルディージャ練習場」(さいたま市西大宮サッカー場)を使用し、クラブハウス「オレンジキューブ」を併設している[1][25]。なお、2012年以前はNTT東日本総合グラウンド(志木市)を使用していた。また、2004年3月から西大宮サッカー場から程近い場所にある秋葉の森総合公園サッカー場(さいたま市西区)をサブ練習場として使用している。
年度別・スタジアム別のホームゲーム試合数編集
(アルディージャホームページにデータが記載されている2001年以後。天皇杯は除く -=建設・改修中 Jリーグ杯=Jリーグカップ) [26]
年度 | リーグ戦 | Jリーグ杯 | 備考 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
大宮 (NACK) |
駒場 | 埼玉ス | 熊谷陸 | その他 | |||
2001年 | 21 | 0 | 0 | - | 鴻巣1 | 大宮1 | |
2002年 | 20 | 1 | 1 | なし | 不参加 | ||
2003年 | 0 | 2 | |||||
2004年 | 19 | 1 | J1昇格 | ||||
2005年 | 5 | 2 | 8 | 3 | 大宮1、埼玉ス2 駒場1、熊谷陸1 |
大宮は当時J1規格外であったため試合数を制限し、 事実上埼玉スを準本拠とした | |
2006年 | - | 10 | 5 | 2 | 駒場3 | この年、大宮改修のため駒場を暫定本拠とする | |
2007年 | 2 | 13 | 2 | 1 | この年、10月まで駒場を暫定本拠とする。 11月よりNACK(大宮)に本拠復帰 | ||
2008年 | 17 | 0 | 0 | 2 | NACK2 熊谷陸1 |
||
2009年 | 13 | 3 | 1 | NACK3 | |||
2010年 | 15 | - | 1 | ||||
2011年 | 16 | 0 | NACK1 | ||||
2012年 | 0 | NACK3 | |||||
2013年 | |||||||
2014年 | J2降格 | ||||||
2015年 | 20 | 不参加 | J1昇格 | ||||
2016年 | 16 | NACK4 | 当初Jリーグ杯グループリーグはNACK4だったが FC東京がACL本戦に出場したため1試合減少 | ||||
2017年 | NACK3 | J2降格 | |||||
2018年 | 20 | 不参加 | |||||
2019年 |
マスコット編集
リスをモチーフとしており、アルディは1998年、ミーヤは2008年に登場した[5][27]。なお、2009年に公式マスコットとして認定された。両名とも2012年より「ゆる玉応援団」メンバー。
アルディとミーヤは仲良しのカップルであり、公式プロフィールにもアルディの欄には「好きな女性のタイプ:ミーヤ」、ミーヤの欄には「将来の夢:アルディとNACK5スタジアム大宮で結婚式をあげること」と書かれている[27]。
ユニフォーム編集
| ||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||
|
チームカラー編集
- オレンジ[1]
ユニフォームスポンサー編集
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | NTTドコモ | NTT docomo »5G | 2008年 - | 2000年 - 2004年は背中、 2007年はパンツ 表記の変遷については後述 |
---|---|---|---|---|
鎖骨 | 武蔵野銀行 | 武蔵野銀行 | 2018年 - | 両側に掲出 2012年 - 2016年はパンツ、 2016年2nd - 2017年は背中下部 |
背中上部 | 東日本電信電話 | NTT東日本 | 2007年 - | 2000年 - 2006年は胸 (2004年 - 2014年は「FLET'S 光」表記) |
背中下部 | しまむら | しまむら | 2018年 - | 2017年はパンツ |
袖 | 富士薬品 | 富士薬品 | 2005年 - | |
パンツ前面 | 武蔵コーポレーション | 武蔵コーポレーション | 2020年 - | |
パンツ背面 | なし | - | - |
ユニフォームサプライの遍歴編集
歴代ユニフォーム編集
FP 1st | ||||
---|---|---|---|---|
FP 2nd | ||||
---|---|---|---|---|
2007 |
||||
歴代ユニフォームスポンサー年表編集
年度 | 箇所 | サプライヤー | |||||||
胸 | 鎖骨左 | 鎖骨右 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ前面 | パンツ背面 | ||
1998 | NTT | 解禁前 | - | 解禁前 | - | - | 解禁前 | Mizuno | |
1999 | NTT / NTT東日本[注 4] | ||||||||
2000 | NTT東日本 | NTT DoCoMo |
Coca-Cola | ||||||
2001 | Club IT | ||||||||
2002 | - | NTT オートリース | |||||||
2003 | |||||||||
2004 | FLET'S | - | |||||||
2005 | FOMA NTT DoCoMo |
富士薬品 | アイダ設計 | ||||||
2006 | - | ||||||||
2007 | DCMX NTT DoCoMo | FLET'S 光 | NTT DoCoMo | Lotto | |||||
2008 | DCMX NTT DoCoMo / NTT docomo |
NTT Communications | |||||||
2009 | NTT docomo | ひかりTV | Under Armour | ||||||
2010 | |||||||||
2011 | - | ||||||||
2012 | 武蔵野銀行 | ||||||||
2013 | |||||||||
2014 | |||||||||
2015 | NTT東日本 | ||||||||
2016 | ドコモ光 | - / 武蔵野銀行[28] | |||||||
2017 | d d POINT |
武蔵野銀行 | しまむら | ||||||
2018 | NTT docomo(1st) d POINT(2nd・3rd) |
武蔵野銀行 | しまむら | - | |||||
2019 | NTT docomo(1st) d POINT(2nd) | ||||||||
2020 | NTT docomo »5G | 武蔵コーポレーション | - | ||||||
2021 |
アカデミー編集
- 大宮アルディージャユース
- 大宮アルディージャジュニアユース
- 大宮アルディージャジュニア
タイトル編集
U-15
- 関東ユース (U-15)サッカーリーグ:2010年、2012年
決算編集
大宮アルディージャの決算は、つぎのとおり。
損益編集
年度 | 収入 | 広告料 | 入場料 | 配分 | その他 | 費用 | 事業費 | 人件費 | 管理費 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | 2,242 | 1,359 | 311 | 256 | 316 | 2,232 | 1,648 | N.A. | 584 | 10 | 2 |
2006 | 2,376 | 1,470 | 254 | 231 | 421 | 2,518 | 2,041 | 1,246 | 477 | -142 | -146 |
2007 | 2,842 | 1,960 | 305 | 248 | 329 | 2,840 | 2,403 | 1,384 | 437 | 2 | 8 |
2008 | 3,059 | 2,165 | 324 | 228 | 342 | 3,046 | 2,591 | 1,565 | 455 | 13 | -2 |
2009 | 3,553 | 2,396 | 379 | 220 | 558 | 3,546 | 3,090 | 1,954 | 456 | 7 | 0 |
2010 | 3,308 | 2,286 | 375 | 220 | 427 | 3,290 | 2,802 | 1,850 | 488 | 18 | -1 |
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 販売 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | 2,775 | 1,924 | 325 | 218 | 150 | 158 | 2,770 | 1,314 | 313 | 354 | 61 | 0 | 728 | 5 | 1 |
2012 | 3,344 | 2,172 | 329 | 208 | 143 | 492 | 3,348 | 1,787 | 288 | 387 | 59 | 0 | 827 | -4 | 0 |
2013 | 3,228 | 2,296 | 341 | 214 | 142 | 235 | 3,226 | 1,606 | 226 | 472 | 68 | 0 | 854 | 2 | 0 |
2014 | 3,422 | 2,405 | 347 | 205 | 164 | 301 | 3,423 | 1,720 | 207 | 561 | 67 | 0 | 868 | -1 | 0 |
2015 | 3,005 | 2,183 | 315 | 100 | 157 | 250 | 3,003 | 1,360 | 204 | 496 | 63 | 0 | 880 | 2 | 0 |
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | 物販 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 物販 | 販売 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016 | 3,203 | 2,077 | 398 | 216 | 174 | 165 | 173 | 3,194 | 1,411 | 229 | 487 | 73 | 0 | 142 | 852 | 9 | 0 |
2017 | 3,685 | 2,296 | 397 | 445 | 189 | 138 | 220 | 3,675 | 1,792 | 252 | 548 | 80 | 0 | 99 | 904 | 10 | 4 |
2018 | 3,972 | 2,611 | 339 | 282 | 189 | 156 | 395 | 3,965 | 1,915 | 271 | 682 | 78 | 0 | 107 | 912 | 7 | 0 |
2019 | 3,454 | 2,464 | 332 | 151 | 215 | 129 | 163 | 3,458 | 1,547 | 272 | 625 | 78 | 0 | 96 | 840 | -4 | 0 |
資産編集
年度 | 総資産 | 総負債 | 純資産 | 資本金 |
---|---|---|---|---|
2005 | 753 | 602 | 151 | 100 |
2006 | 612 | 608 | 4 | 100 |
2007 | 1,044 | 1,031 | 12 | 100 |
2008 | 1,015 | 1,004 | 11 | 100 |
2009 | 661 | 650 | 11 | 100 |
2010 | 441 | 430 | 10 | 100 |
2011 | 976 | 966 | 10 | 100 |
2012 | 1,505 | 1,494 | 11 | 100 |
2013 | 1,236 | 1,225 | 11 | 100 |
2014 | 1,155 | 1,145 | 11 | 100 |
2015 | 1,184 | 1,174 | 10 | 100 |
2016 | 1,310 | 1,299 | 11 | 100 |
2017 | 1,670 | 1,659 | 11 | 100 |
2018 | 2,722 | 2,711 | 11 | 100 |
2019 | 1,512 | 1,501 | 11 | 100 |
脚注編集
注釈編集
出典編集
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u “クラブガイド:大宮アルディージャ”. 日本プロサッカーリーグ. 2015年10月30日閲覧。
- ^ a b c d e f “会社概要”. 大宮アルディージャ. 2014年1月18日閲覧。
- ^ a b c d “2019年度(平成31年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2020年5月29日閲覧。
- ^ a b c エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社 第22期決算公告
- ^ a b c “クラブ概要”. 大宮アルディージャ. 2014年1月18日閲覧。
- ^ “ホームゲーム開催時の入場者数に関する調査結果等のご報告” (日本語). 大宮アルディージャ. (2010年10月19日) 2013年2月11日閲覧。
- ^ “Jリーグからの制裁について” (日本語). 大宮アルディージャ. (2010年11月16日) 2013年2月11日閲覧。
- ^ 監督・ヘッドコーチ解任のお知らせ - 大宮アルディージャ公式サイト 2017年5月28日
- ^ 監督・ヘッドコーチ就任のお知らせ - 大宮アルディージャ公式サイト 2017年5月28日
- ^ 伊藤彰 監督 解任のお知らせ - 大宮アルディージャ公式サイト 2017年11月5日
- ^ 松本大樹 強化本部長 解任のお知らせ - 大宮アルディージャ公式サイト 2017年11月5日
- ^ 石井正忠 監督 就任のお知らせ - 大宮アルディージャ公式サイト 2017年11月5日
- ^ 西脇徹也 強化本部長 就任のお知らせ - 大宮アルディージャ公式サイト 2017年11月5日
- ^ a b “大宮・石井新監督が涙を浮かべ決意。“古巣”の窮地救うべく伝統の「堅守速攻」回帰へ | サッカーダイジェストWeb” (日本語). www.soccerdigestweb.com. 2018年11月27日閲覧。
- ^ 大宮アルディージャ公式サイト. “2018シーズン チームスローガン決定のお知らせ | 大宮アルディージャ公式サイト” (日本語) 2018年7月16日閲覧。
- ^ “大宮アルディージャ 2018 フォーメーション | データによってサッカーはもっと輝く | Football LAB”. www.football-lab.jp. 2019年12月27日閲覧。
- ^ “大宮アルディージャ 2018 チームスタイル[攻撃セットプレー | データによってサッカーはもっと輝く | Football LAB]”. www.football-lab.jp. 2019年12月27日閲覧。
- ^ 『週刊☆サッカー王国』(2018年1月26日放送分)
- ^ “石井正忠監督「自分から前にアクションを起こすというところを数多くやってほしい」【練習コメント】” (日本語). 「OmiyaVision」片村光博 2018年11月27日閲覧。
- ^ 大宮アルディージャ (2018年1月14日). “「2018大宮アルディージャ新体制発表会」開催レポート”. 2018年11月25日閲覧。
- ^ a b ゲキサカ (2018年11月25日). “10人の東京V、セットプレーで大宮撃破!! 11年ぶりJ1昇格へプレーオフあと2勝”. 2018年11月25日閲覧。
- ^ “大宮アルディージャ 2019 フォーメーション | データによってサッカーはもっと輝く | Football LAB”. www.football-lab.jp. 2020年1月6日閲覧。
- ^ “大宮アルディージャ 2019 チームスタイル[攻撃セットプレー | データによってサッカーはもっと輝く | Football LAB]”. www.football-lab.jp. 2019年12月27日閲覧。
- ^ “岩瀬健 監督 就任のお知らせ | 大宮アルディージャ公式サイト” (日本語). www.ardija.co.jp. 2020年12月24日閲覧。
- ^ クラブハウス・練習場 大宮アルディージャ公式サイト
- ^ フットボールガイスト [信頼性要検証]
- ^ a b アルディとミーヤのプロフィール 大宮アルディージャ公式サイト
- ^ 2016シーズン ユニフォーム 背中裾広告 決定のお知らせ | 大宮アルディージャ公式サイト
関連項目編集
- 大宮アルディージャの選手一覧
- 大宮アルディージャVENTUS
- Ole! アルディージャ(テレビ埼玉)
- ARDIJA HOT LINE(NACK5)
- さいたまシティカップ
- さいたまダービー
- ロアッソ熊本 (電電熊本として発足したクラブが母体。)
- ベンターナAC (←NTT西日本四国サッカー部)
外部リンク編集
- 公式ウェブサイト (携帯)
- 大宮アルディージャ公式 - Facebook
- 大宮アルディージャ 公式 (@Ardija_Official) - Twitter
- アルディ (@Ardija_Ardy) - Twitter
- ArdijaOfficial - YouTubeチャンネル