東新町商店街 (徳島市)
概要編集
東新町は、1585年(天正13年)に入国した徳島藩祖・蜂須賀家政が、町人を相手にする商人を集めたのが始まりで、1630年(寛永7年)ごろには内町と並ぶ徳島一の商店街として栄えていた[1]。
1934年(昭和9年)に丸新百貨店が開店し[2]、1971年(昭和46年)6月18日にはダイエー徳島店が開店する[3]など大型店も出店していた。
1970年代が全盛期とされ、1974年(昭和49年)には休日の歩行者数が約4万人を数えていた[1]。
しかし、1983年(昭和58年)に当地区の核店舗となっていた丸新百貨店の約2.5倍の規模で徳島駅前に徳島そごうが進出したことから丸新百貨店と当商店街の衰退が始まった[2]。
1995年(平成7年)3月21日に丸新百貨店が、2005年(平成17年)にダイエー徳島店が閉店して核となる大型店が無くなり、2006年(平成18年)には映画館も無くなるなど集客施設が相次いで消失したことで衰退が決定的になった[2]。
郊外のロードサイド型店舗が勢力を伸ばした影響で、徳島市中心市街地で1983年(昭和58年)で1位の商業販売を誇っている内町も売り上げを落としており、2001年(平成13年)に郊外の北島町に大型ショッピングセンター・フジグラン北島が開店した前後からはその落ち込みが一段と顕著になるなど郊外との競争に敗れたことも衰退の大きな要因となった[4]。
また、明石海峡大橋開通後は神戸や大阪等への消費者流出が生じていることも打撃となった[2]。
2012年3月18日、アニメを中心に上映するufotable CINEMAがオープンし、映画館が復活した。また、ポッポ街1号館(本館)からはアニメイト徳島(井上書房運営)が拡大移転(書籍販売フロアの新設など)した。アニメファンの来場による波及効果が期待される。[5]
主な店舗編集
現在の店舗編集
- ufotable CINEMA
- アニメイト徳島
- chu chu churros cafe
- FLAT
- 美容室アンジェリーク
- マダムLサフラン
- エル・フィアンセ
- ハラダ
- 徳島メガネ
- オガワ
- フクタレコード
- 若林
- ニコニコや
など
かつて存在した店舗編集
- 丸新百貨店(1934年(昭和9年)[2] - 1995年(平成7年)3月21日[2]) - 当初は旧大丸(現:大丸松坂屋百貨店)と提携)[2]、その後、旧西武百貨店(現そごう・西武)と提携していた。関連会社に洋食店チェーン・ニュー徳島があった。1995年に閉店、跡地は東新町商店街のイベント広場になった。
- 徳島東映(映画館)- 跡地はパチンコホール(※地元資本)が入居→撤退、後に後述の多目的ホールが入った
- ダイエー徳島店(1971年(昭和46年)6月18日[3] - 2005年(平成17年)11月27日[6])
- 徳島東宝(映画館)
- しんまち劇場707(多目的ホール)
- 京屋フェスタ(複合商業施設)
- 100円ショップダイソー徳島東新町店
- マクドナルド徳島店(徳島1号店、1984年11月開店-1990年11月直営店、1990年12月-2010年[2]4月30日21時閉店サンフォート(FC店))
- 宮脇書店徳島店 - 現在は徳島クレメントプラザ4Fの核店舗として移転。
- ミスタードーナツ東新町ショップ(同徳島駅前ショップとの実質統廃合により2008年4月閉店)
- NHK徳島東新町サテライトスタジオ
- 百十四銀行徳島支店 - 2011年(平成23年)、国道55号沿いのかちどき橋に移転。
など
関連項目編集
脚注編集
- ^ a b 谷野圭助 (2011年5月1日). “徳島市 中心街のあした 第1部・歴史(1)商都 歳月重ね変わる風景”. 徳島新聞(徳島新聞社)
- ^ a b c d e f g h 谷野圭助 (2011年5月4日). “徳島市 中心街のあした 第1部・歴史(3)丸新閉店 流通戦争の渦の中で”. 徳島新聞(徳島新聞社)
- ^ a b 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。
- ^ 谷野圭助 (2011年5月5日). “徳島市 中心街のあした 第1部・歴史(4)変わる駅前 話題の店、出店相次ぐ”. 徳島新聞(徳島新聞社)
- ^ “アニメ映画館、18日オープン 東新町に文化発信拠点”. 徳島新聞Web. 2012年3月17日閲覧。
- ^ “ダイエー、9店舗を追加閉鎖”. 建設通信新聞 (日刊建設通信新聞社). (2005年9月28日)