松山村 (岡山県)

日本の岡山県上房郡にあった村

松山村(まつやまそん)は、岡山県上房郡にあった自治体である。

まつやまそん
松山村
廃止日 1929年5月10日
廃止理由 新設合併
高梁町(初代)、松山村高梁町(2代)
現在の自治体 高梁市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
上房郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,864
国勢調査、1920年)
隣接自治体 高梁町、津川村玉川村高倉村落合村大和村富山村
松山村役場
所在地 岡山県上房郡松山村
座標 北緯34度47分08秒 東経133度36分54秒 / 北緯34.78542度 東経133.61497度 / 34.78542; 133.61497座標: 北緯34度47分08秒 東経133度36分54秒 / 北緯34.78542度 東経133.61497度 / 34.78542; 133.61497
特記事項 座標は現在の高梁公民館の位置
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概要

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現在の高梁市のうち松山および、1974年から1975年に設定された横町・段町・中原町・旭町・栄町・東町・松原通・正宗町・浜町・和田町・奥万田町・上谷町・下谷町・原田北町・原田南町に当たる[1][2][3]

明治維新時には松山東村・松山西村に分かれていた[1]

沿革

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  • 明治2年11月 - 備中松山藩が高梁藩と改称。この時に松山東村・松山西村が高梁東村・高梁西村に改称する[1]
  • 1875年(明治8年)6月28日 - 高梁東村と高梁西村が合併して高梁村となる[1]
  • 1878年(明治11年)1月15日 - 高梁村を松山村と改称する[1]
  • 1883年(明治16年)2月15日 - 連合戸長役場制度発足により、上房郡第二部戸長役場を松山村に設置し同村を管轄。同年11月、区域の改正により旧第一部(高梁城下25町を管轄)が2つに分かれたことにより、松山村の旧第二部が第三部戸長役場となる[1][4]
  • 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制の施行により、自治体としての松山村が発足。大字は編成せず[1][4]
  • 1929年(昭和4年)5月10日 - 高梁町(初代)と合併し、新たに高梁町(2代)が発足。大字松山となる[1][2][5]

行政

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歴代村長

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氏名 就任年月日 退任年月日 備考
柳井重宣 1889年(明治22年)7月23日 1890年(明治23年)3月21日
2 横山伝之丞 1890年(明治23年)4月8日 1892年(明治25年)4月18日
3 須山平三郎 1892年(明治25年)5月20日 1894年(明治27年)3月10日
4-8 荘直温 1894年(明治27年)4月25日 1914年(大正3年)3月25日 前・高梁町長。
1923年9月から再び同町長を務めた。
9-11 中島直治郎 1914年(大正3年)8月28日 1926年(大正15年)8月27日
12 横山平左衛門 1926年(大正15年)8月28日 1929年(昭和4年)5月9日
参考文献 - [1][6]

交通

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 岡山県市町村合併誌 市町村編287-315頁(岡山県、1960年)
  2. ^ a b 角川日本地名大辞典 岡山県「松山村(近代)」
  3. ^ 角川日本地名大辞典 岡山県「松山(近代)」
  4. ^ a b 岡山県市町村合併誌 総編(岡山県、1960年)
  5. ^ 「町村廃置」『官報』1929年05月10日国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 高梁歴史人物辞典

関連項目

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