松平直寛

日本の江戸時代後期の大名。出雲広瀬藩(出雲松江藩分家)6代藩主松平近貞長男で、広瀬藩8代藩主。従四位下宮内大輔。譜代衆取締役を勤め、城主大名格となる

松平 直寛(まつだいら なおひろ)は、出雲広瀬藩の第8代藩主。直政系越前松平家広瀬藩分家8代。

 
松平 直寛
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 天明3年6月27日1783年7月26日
死没 嘉永3年10月21日1850年11月24日
官位 従四位下宮内大輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
広瀬藩
氏族 越前松平家
父母 父:松平近貞、母:佐野氏
養父:松平直義
正室:前田利物の娘
継室:内藤政韶の娘
側室:安達氏
直諒政徳直審定詢直慈政雅道久直行直在資貞直巳、蔵子(山名義問正室)、酒井道教室、阿部正義正室、佐野時行正室、平野長発継室、加藤明軌正室、形原松平信敏正室、高木某正室
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経歴

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第6代藩主・松平近貞の長男。母は側室・佐野氏。父が老年でようやく生まれた実子であったが、すでに父は家督を養嗣子の直義に譲っていたため、享和3年(1803年)の直義の死去により家督を継ぐこととなった。天保12年(1841年)に譜代衆取締役となり、功を挙げたことから城主格を与えられた。

しかし藩政においては水害に見舞われたにもかかわらず、藩政に無関心で帰国しなかった。嘉永3年(1850年)10月21日、68歳で死去し、家督は長男の直諒が継いだ。

子女

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