松平直平
日本の明治時代初期~昭和時代前期の子爵・政治家・実業家。旧出雲松江藩10代藩主松平定安四男で、旧出雲広瀬藩10代藩主松平直巳養子。広瀬松平家11代当主。従二位
松平 直平(まつだいら なおひら、1869年6月18日(明治2年5月9日[1][2][3])- 1939年(昭和14年)7月30日[2][3][4])は、明治時代から昭和時代前期の華族、実業家、政治家。貴族院子爵議員。旧松江藩主松平定安の四男[2][3]。旧広瀬藩主松平直巳の養子[1][2][3]。通称は篤郎[3]。
経歴
編集1874年(明治7年)2月、松平直巳の養子となり[1]、1876年(明治9年)4月6日に養父が隠居したため[2]、同日家督を相続した[2]。1884年(明治17年)7月8月、子爵を叙爵[5]。1897年(明治30年)7月10日[6]より貴族院議員を務め、議員在任中の1939年7月に71歳で没した[7][8]。
また、鉄道会議議員、経済調査会委員、東洋拓殖監事、同理事、日本畜産取締役、八千代生命保険取締役なども務めた[1][4]。
栄典
編集親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 叙爵 |
子爵 (広瀬)松平家初代 1884年 - 1939年 |
次代 松平近義 |