松平頼温
松平 頼温(まつだいら よりあつ) は、江戸時代後期の讃岐国高松藩の世嗣。
松平頼温 | |
時代 | 江戸時代後期 - 大正時代 |
生誕 | 文久2年12月1日(1863年1月20日) |
死没 | 大正10年(1921年)5月21日[1] |
改名 | 松千代(幼名)→頼温 |
藩 | 讃岐高松藩世嗣 |
氏族 | 高松松平家 |
父母 |
父:松平頼胤 養父:松平頼聰 |
兄弟 | 頼温、頼和、大原重実室、松平頼策正室 |
妻 | 正室:逸子(松浦詮の次女) |
略歴
編集第10代藩主・松平頼胤の六男として誕生。
頼胤が隠居して養子・頼聰が第11代藩主となった翌年に生まれ、頼聰の養子となるが、のち廃嫡された。代わって頼聰の六男・頼親が嗣子となった。