橘家文三

落語家
柳家寿朗から転送)

橘家 文三(たちばなや ぶんぞう、1871年3月15日1月25日) - 1944年12月20日)は、落語家。本名∶町井 定吉。改名の回数が多いことで有名。

橘家たちばなや 文三ぶんぞう
本名 町井 定吉
生年月日 1871年3月15日
没年月日 (1944-12-20) 1944年12月20日(73歳没)
出身地 日本の旗 日本・東京
師匠 柳亭左伊龍
4代目橘家圓蔵
2代目談洲楼(柳亭)燕枝
名跡 1. 柳亭左朝
(時期不明)
2. 柳亭左福
(? - 1895年)
3. 橘家仲蔵
(1895年 - ?)
4. 橘家扇蔵
(? - 1899年)
4. 初代橘家小圓蔵(1899年 - 1901年)
5. 柳亭燕福
(1901年 - 1902年)
6. 柳亭燕橋
(1902年 - 1907年)
7. 5代目柳亭小燕枝
(1907年 - 1911年)
8. 入船米蔵
(1911年)
9. 初代橘家文蔵
(1911年 - 1915年)
10. 橘家文三
(1915年 - 1920年)
11. 橘家圓治
(1920年 - 1922年)
12. 橘家文三
(1922年 - 1924年)
13. 三遊亭圓勝
(1924年 - 1925年)
14. 橘家文三
(1925年 - ?)
15. 柳家寿朗
(? - 1944年)
活動期間 ? - 1944年
所属 柳派
(1901年 - 1907年)
演芸会社
(1917年 - 1922年)
合同派
(1922年 - 1924年)
三遊睦会
(1924年 - 1925年)
落語睦会
(1925年 - ?)
日本芸術協会
(? - 1944年)

来歴・人物 編集

前身は深川草履屋。

初め柳亭左伊龍の門で左朝から左福。

1895年ころに4代目橘家圓蔵の門で橘家仲蔵から明治30年代初めに橘家扇蔵となり、1899年11月に初代橘家小圓蔵となった。

1901年に柳派に鞍替えし2代目談洲楼(柳亭)燕枝の門で柳亭燕福1902年3月柳亭燕橋、さらに1907年3月に師匠の前名4代目柳亭小燕枝を貰った。

しかししくじりがあり春風亭小柳枝と共に名跡を取り上げられ、やむなく1911年1月から一時入船米蔵を名乗る。しかし同年6月にまた圓蔵の門に戻り初代の橘家文蔵となる。

1915年5月に文三、1917年には演芸会社の所属になる。1920年5月に橘家圓治1922年正月には合同派の連名には文三に複名し1924年7月には三遊睦会では三遊亭圓勝と改名。翌年1925年には圓勝が圓生と混合するためかまたまた文三に戻り睦会所属となった。

さらに晩年の昭和に入り柳家寿朗の名で柳家金語楼の身内で日本芸術協会(現:落語芸術協会)に所属している。結局は大成せずに圓蔵一門の番頭役で終わった。戻りの文三を入れると改名は16回を数える。

出典 編集