栗山 富夫(くりやま とみお、1941年昭和16年〉2月20日 - 2025年令和7年〉6月18日)は、日本映画監督脚本家

来歴

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茨城県鹿島郡旭村(現・鉾田市)または東京都[1]生まれ。茨城県立鉾田第一高等学校国際基督教大学社会科学科卒業後の1965年、松竹に入社する[1]助監督を経て、『いとしのラハイナ』で監督に昇進する。1985年、『祝辞』で芸術選奨新人賞を受賞する。『釣りバカ日誌』の作者により映画化第一作の監督に指名。その後も監督を担当し、計11作を手がけ、国民的映画に育て上げた。

2025年6月18日、悪性リンパ腫のため死去[1]。84歳没。

監督作品

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映画

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テレビ

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脚注

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