桂園派(けいえんは)は、江戸時代後期の歌人香川景樹1768年-1843年)に代表される和歌の流派。堂上公家だった清水谷実業から地下の香川家に伝えられた二条派の分流でもある。「桂園」は香川景樹の号に由来する。

賀茂真淵1679年-1769年)らが「万葉集」尊重を主張したのに対し、景樹らは「古今和歌集」を尊重することを主張し、京阪神(畿内)地域を中心に流行した。歌風は、平易を尊び、声調を重んじた。門下には、内山真弓高島章貞木下幸文熊谷直好など数多くいた。特に天保14年(1843年)内山によって成立した『歌学提要』は、景樹の説いた歌論を、雅俗、趣向、題詠、歌詞など18章に分け組織的に門人に説いたもので、桂園派唯一の体系的歌論書とされ、嘉永3年(1850年)に刊行された。

明治政府が成立すると、八田知紀高崎正風が召しだされ、前者は歌道御用掛に後者は御歌所初代所長に任じられ、宮内省派・御歌所派とも称された。だが、明治後期に与謝野鉄幹正岡子規ら和歌の革新を求める人々からの批判を受けて衰退した。

参考文献編集