桜田門

皇居(かつての江戸城)の門のひとつ

桜田門(さくらだもん)は、江戸城[1](現在の皇居)の内堀に造られたの一つ。桜田堀と凱旋堀の間にある。1961年に「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定された[2]。特別史跡「江戸城跡」の一画を占める。江戸城三十六見附の一つ。なお江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在するが、前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合には後者を指すことが多い。

桜田門 (高麗門)
地図
桜田門の位置

この一帯は古くから桜田の地名で呼ばれた。

概要

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慶長7年(1602年)頃の江戸を描いたとされる『別本慶長江戸図』には「小田原口門」、また慶長13年(1608年)頃の江戸を描いた『慶長江戸図』には「櫻田土橋」と記載されている。

柵戸仕立の門を現在のような桝形門に改築、桜田門とよぶようになる。外側の高麗門(こうらいもん)と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)の二重構造になっており、桝形を構成している。大正12年(1923年)の関東大震災で一部が破損し、鋼鉄土蔵造りに改修される。

安政7年(1860年)にこの門の近くで水戸藩浪士らによる大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きた。井伊邸は現在の憲政記念館の建っている辺りにあり、桜田門から西に500メートルほどの所にあった。

昭和7年(1932年)には昭和天皇の暗殺未遂事件(桜田門事件)が起きた。

桜田門の正面(豊後杵築藩松平家屋敷跡)には現在、警視庁の庁舎がある。この事から警視庁隠語で「桜田門」と呼ばれることもある。国道1号を挟んで法務省の赤レンガ棟が建っている。

重要文化財(建造物)

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  • 旧江戸城外桜田門 2棟 - 1961年(昭和36年)6月7日指定。時代:江戸中期、種別:城郭、所有者:国(文部科学省)。江戸城遺構のうち、宮内庁所管以外のもの(田安門、清水門、外桜田門)が重要文化財に指定されている。
    • 外桜田門(そとさくらだもん)
    1663年(寛文3年)頃建築 (寛政重修諸家譜による)、高麗門、本瓦葺
    髙麗門と櫓門からなる桝形を形づくっている[3]
    • 櫓門(やぐらもん)
    1663年(寛文3年)頃建築、脇戸付櫓門(寛政重修諸家譜による)、入母屋造、本瓦葺[4]

交通

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桜田門駅以外では、霞ケ関駅が非常に近いほか、日比谷駅永田町駅からも至近である。

脚注

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  1. ^ 「江戸城跡」として国の特別史跡に指定されている。
  2. ^ 他に重要文化財に指定された江戸城の門には清水門田安門がある。
  3. ^ 旧江戸城外桜田門 外桜田門) - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. ^ 旧江戸城外桜田門 櫓門) - 国指定文化財等データベース(文化庁

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯35度40分42.8秒 東経139度45分14.2秒 / 北緯35.678556度 東経139.753944度 / 35.678556; 139.753944