梶原康司
梶原 康司(かじわら こうじ、1978年4月20日 - )は、宮崎県東臼杵郡門川町出身の元プロ野球選手(内野手)。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 宮崎県東臼杵郡門川町 |
生年月日 | 1978年4月20日(46歳) |
身長 体重 |
180 cm 87 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 三塁手、一塁手 |
プロ入り | 2000年 ドラフト8位 |
初出場 | 2002年8月10日 |
最終出場 | 2002年8月14日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督歴・コーチ歴 | |
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この表について
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来歴・人物
編集プロ入り前
編集延岡学園高校から九州東海大学(現・東海大学九州キャンパス)へ進み2年の大学選手権では2回戦で本塁打、3年時も2回戦で本塁打を放ちベスト4まで進出したが石川雅規(青学大)に完投される。4年の同大会では同学年でこの年ドラフトの目玉であった山村路直(九州共立大)から3安打[1]。3、4年は日米大学野球代表に選出、シドニー五輪の最終選考まで残った[1]。大学通算18本塁打[1]。2000年のドラフト8位で阪神タイガースに入団。
プロ入り後
編集阪神時代には二軍で主力を張るも、一軍では結果を残せなかった。2004年オフに退団し、プロ野球選手としては現役を引退する。
社会人時代
編集松下電器では1年目から4番打者として活躍し、2005年の日本選手権優勝に貢献した。これらの活躍が評価され、元プロ選手としては丸尾英司(同)以来2人目となる社会人ベストナイン(一塁手部門)を獲得した。
2012年シーズンは2大大会に出場、特に第38回社会人野球日本選手権大会ではベスト4入りに貢献し、7年ぶり2回目となる社会人ベストナインを獲得、また年間記録として最多打点賞(25打点)を獲得した。2014年、NPBを退団した選手として初めて都市対抗野球大会10年連続出場表彰を受けた(NTT西日本、日本生命の補強として1回ずつ出場)。同年を持って、現役を引退した[2]。引退後は、パナソニックに残り社業に就いた[2]。
2015年11月30日にパナソニック野球部監督に就任することが発表された[3]。
2018年4月13日に成績不振により監督解任が発表された[4]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2002 | 阪神 | 4 | 3 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
通算:1年 | 4 | 3 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
記録
編集- 初出場:2002年8月10日、対中日ドラゴンズ19回戦(ナゴヤドーム)、7回表に矢野輝弘の代走で出場
- 初先発出場:2002年8月13日、対横浜ベイスターズ22回戦(札幌ドーム)、6番・一塁手で先発出場
背番号
編集- 61 (2001年 - 2004年)
主な表彰・タイトル
編集- 社会人ベストナイン 2回(2005年・一塁手、2012年・一塁手)
- 年間最多打点 1回(2012年)
- 都市対抗野球大会10年連続出場(2014年)
脚注
編集- ^ a b c 2001プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
- ^ a b 2014年度 パナソニック野球部 引退選手・スタッフのコメント パナソニック野球部 2014年12月25日閲覧。
- ^ 社会人野球:パナソニック新監督に元阪神の梶原康司氏 毎日新聞 2015年11月30日閲覧
- ^ 野球部新体制のご報告 パナソニック野球部ホームページ 2018年04月13日
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 梶原康司 - NPB.jp 日本野球機構