椎名素夫
椎名 素夫(しいな もとお、1930年8月19日 - 2007年3月16日)は、日本の政治家、実業家、物理学者。衆議院議員(4期)、参議院議員(2期)、自由の会代表、無所属の会代表などを務めた。
椎名素夫 しいな もとお | |
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生年月日 | 1930年8月19日 |
出生地 | 東京都文京区 |
没年月日 | 2007年3月16日(76歳没) |
出身校 | 名古屋大学 |
所属政党 |
(自由民主党→) (無所属→) (自由の会→) (無所属→) (参議院クラブ→) 無所属の会 |
称号 | 中華民国紫色大綬景星勲章 |
親族 | 父・椎名悦三郎 |
選挙区 | 岩手県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1992年7月26日 - 2004年7月25日 |
選挙区 | 岩手県第2区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1979年10月8日 - 1990年1月24日 |
来歴・人物
編集東京市(のち東京都文京区)出身。旧制府立高等学校を経て1953年名古屋大学理学部物理学科を卒業。電源開発に入った後、アメリカアルゴンヌ国立研究所に入所する。帰国後、精密機械メーカーサムタクを設立し、自ら取締役に就任した。1979年、父・椎名悦三郎の引退に伴い、第35回衆議院議員総選挙に旧岩手2区から自由民主党公認で立候補し、初当選する。なお悦三郎は、この選挙戦の最中の9月30日に死去した。当選後は椎名派が解散したこともあり無派閥となった。
自民党国際局長を務めた他、リチャード・アーミテージ元国務副長官やビル・ブラッドレー元上院議員ら、アメリカの政界に知人が多い知米派・国際派であり、中曽根康弘首相・ロナルド・レーガン大統領の所謂「ロン・ヤス会談」の成功にも貢献した。
1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選。1992年、第16回参議院議員通常選挙に岩手県選挙区から出馬し、当選。1993年に自民党を離党する。同年夏に発足した細川内閣には好意的であり、後継の羽田内閣組閣時には経済閣僚候補に椎名の名前が挙がるも、入閣は実現しなかった。
1995年に無所属の参議院議員を糾合し、田英夫らと院内会派「参議院フォーラム」を結成。1997年には自由の会に所属する。1998年、参議院議員に2期目の当選。1999年無所属の会結成に参加し、その後同会代表を務めた。2004年に政界を引退する。
雑誌「中央公論」などに外交評論を執筆するなど言論活動もおこなった。
表彰歴など
編集著書
編集党職 | ||
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先代 結成 田名部匡省 |
無所属の会代表 初代:1999年 - 2001年 第3代 : 2003年 - 2004年 |
次代 田名部匡省 解散 |
先代 徳田虎雄 |
自由の会代表 第5代 : 1997年 |
次代 徳田虎雄 |