楊 淳稙(ヤン・スンジク、朝鮮語: 양순직1925年5月11日 - 2008年7月24日)は、韓国政治家民主化運動家。第6・7・14代国会議員。本貫清州楊氏心山(シムサン、심산)。漢字表記は梁淳稙とされることもある[1][2]

経歴 編集

忠南論山出身。公州高校、ソウル大学校師範大学卒。海軍では政訓次監公報室長を務めた[1]

除隊後の1962年ソウル新聞社長を務め[3]1963年第6代総選挙1967年第7代総選挙民主共和党から出馬し連続当選したが、1969年3選改憲に反対する活動及び4・8抗命事件で民主共和党から除名された[4]1979年YMCA偽装結婚式事件咸錫憲らと共に拘束され、10ヶ月の懲役を宣告された[3]1984年以降は民主化推進協議会副議長、新民党副総裁、統一民主党副総裁、平和民主党副総裁、民主憲法争取国民運動本部常任共同代表を歴任し、6月民主抗争でも拘束された[1][3]

1992年第14代総選挙統一国民党から再び当選し、韓日議員連盟副会長、金九先生真相究明委員会副会長を務めた[1]。国会議員退任後は忠清郷友会中央会長、自由民主連合常任顧問、韓国自由総連盟総裁[5]第2建国汎国民推進委員会共同委員長を歴任した[3]大韓体育会顧問を務めたこともある[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年8月2日閲覧。
  2. ^ 바로 잡습니다 양순직 한국자유총연맹 총재 한자 성함 外” (朝鮮語). 중앙일보 (2000年10月11日). 2022年8月2日閲覧。
  3. ^ a b c d 부고 ‘3선 개헌’ 반대… 헌정사 큰 획” (朝鮮語). 서울신문 (2008年7月26日). 2022年8月2日閲覧。
  4. ^ 共和(공화) 抗命(항명)5議員(의원) 제명”. 동아일보 (1969年4月15日). 2022年8月2日閲覧。
  5. ^ 양순직 한국자유총연맹 총재” (朝鮮語). 중앙일보 (2000年10月10日). 2022年8月2日閲覧。