母恩寺
大阪市都島区にある浄土宗の寺院
母恩寺(ぼおんじ)は、大阪市都島区にある浄土宗の寺院(尼寺)。山号は法皇山。本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば創立は仁安3年(1168年)、開基は後白河法皇である。
母恩寺 | |
---|---|
所在地 | 大阪府大阪市都島区都島本通1丁目20-22 |
位置 | 北緯34度42分36.5秒 東経135度31分21.4秒 / 北緯34.710139度 東経135.522611度 |
山号 | 法皇山 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 仁安3年(1168年) |
開基 | 後白河法皇 |
法人番号 | 1120005001567 |
歴史
編集高野山金剛峯寺に参詣する途中であった後白河法皇は、大川沿いの風光明媚の地でありながら、たびたび洪水で被害を被っていたこの地を憐れんで、永暦元年(1160年)に十五社神社を建立した。そして、仁安3年(1168年)にやはりこの地が気に入ったのかこの場所に目をとめ、久安元年(1145年)に亡くなった母待賢門院の菩提をここで弔おうと考え、十五社神社の北側に寺を建立した。寺名の由来は「産んでくれた母への恩返し」という意味による[1]。
以降数箇所の荘園を有する大寺院として興隆し、浄土宗の尼寺として代々皇女が住持を勤めた。しかし、度重なる淀川の洪水や兵火にあって衰微し、明治時代に入ってからの廃仏毀釈の影響や、1945年(昭和20年)6月7日の第3回大阪大空襲によって堂宇を焼失し、現在の境内に落ち着いた。本堂は1992年(平成4年)に新築され、5月1日に落慶法要が営まれた[2]。
元禄14年(1701年)刊の『摂陽群談』によると、本尊の阿弥陀如来は恵心僧都源信の作であるという。また、この寺の尼僧が作る美しい綿帽子は「滓上江(かすがえ)の綿帽子」として有名であった。
境内
編集鵺塚
編集母恩寺から南東に約500mの場所に「鵺塚」がある。平安時代に京で源頼政が鵺を退治した、そしてその遺骸を淀川に流したところ、この地にたどり着いた。付近の村人たちはその祟りを恐れて母恩寺の住職に弔ってもらい、鵺塚を建立した[3]。鵺塚は明治時代に取り壊されかけたが、鵺の怨霊が地元住人を悩ませたりしたので、慌てて鵺塚は修復された。
周辺
編集脚注
編集- ^ 「わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/261 石造三重宝篋印塔」.『毎日新聞(大阪)』.2012年7月19日付朝刊、21面。
- ^ 都島区制五十周年記念事業実行委員会 1993, p. 359.
- ^ 都島区制五十周年記念事業実行委員会 1993, p. 356-357.
参考文献
編集- 『まちあるき2017』週刊大阪日日新聞、2017。
- 『都島区史』都島区制五十周年記念事業実行委員会、1993年4月1日、356-359頁。