水入 苑生(みずいり そのお、1946年昭和21年〉 - )は、日本医師医学者腎臓内科医。東邦大学医学部卒業。東邦大学医学部名誉教授

略歴

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1970年(昭和45年)4月に、東邦大学医学部を卒業し、医師免許を取得する。[1] 東邦大学大森病院(現在の東邦大学医療センター大森病院)で研修医として勤務する。

1971年(昭和46年)6月に、東邦大学医学部(内科学第2講座)に研究生として所属する。

1972年(昭和47年)7月に、アメリカ在住のため2年間休職する。

1974年(昭和49年)7月に、東邦大学医学部に研究生(内科学第2講座)として復職する。

1974年(昭和49年)12月に、川崎中央病院の内科に出向をする。

1976年(昭和51年)6月に、東邦大学医学部(内科学第2講座)に助手として勤務する。

1979年(昭和54年)6月に、川崎中央病院の内科に2度目の出向をする。

1980年(昭和55年)6月に、東邦大学医学部(内科学第2講座)に復職する。 

1981年(昭和55年)9月に、東邦大学医学部の腎臓学研究室に移籍する。

1983年(昭和58年)12月に、東邦大学医学部(腎臓内科)の講師に就任する。

1989年平成元年)6月に、神奈川県横浜市にある済生会横浜市南部病院透析センター部長)に出向する。

1991年(平成3年)4月に、東邦大学医学部の腎臓学研究室に復職する。

1991年(平成3年)9月に、東邦大学医学部(腎臓学研究室)の助教授に就任する。

2003年(平成15年)7月に、東邦大学医学部付属大森病院の人工透析室室長に就任する。

2005年(平成17年)2月に、東邦大学医療センター大森病院の腎センター(腎臓内科)の教授に就任する。[2]

2011年(平成23年)3月に、東邦大学医学部を退職となり、東邦大学医学部の名誉教授に就任する。

2011年(平成23年)4月に、広島県広島市にある「医療法人一陽会 原田病院」の腎臓内科科長に就任する。                        

2012年(平成24年)4月に、広島県広島市にある「医療法人一陽会 原田病院」の透析室室長を兼任する。

認定医・役員

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  • 日本内科学会認定医
  • 日本腎臓学会専門医・指導医
  • 日本透析医学会専門医・指導医
  • 日本臨床腎移植学会認定医
  • 日本透析医学会評議員・日本腎臓学会理事であった。

所属学会

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備考

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  • 名前が「水入苑生(みずいり えんしょう)」と誤読されることがあるが、正しくは「水入苑生(みずいり そのお)」と読む。

脚注

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