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1952年11月1日、人類初の水爆実験であるアイビー作戦

水素爆弾(すいそばくだん、: hydrogen bomb)または熱核兵器(ねつかくへいき、: thermonuclear weapon)は、重水素熱核反応を利用した核兵器を言う。水爆(すいばく)。

概要編集

実際に核兵器として開発された「水爆」は、重水素や三重水素による核反応をエネルギー源とした爆弾である。

この重水素や三重水素の核反応は(核分裂でなく)核融合であると、物理学などでは、みなされている。

水爆では一般に、原爆を起爆装置として重水素を熱核反応させる。「水素爆弾」という語に含まれる「水素」は重水素のことである。重水素・三重水素でない普通の水素は核反応の速度が遅いため実用的でない。

なお、濃度の高い状態で(重)水素を配置するための方法として、冷却装置などによって水素を液化する方式(湿式水爆)と、常温のままリチウムなどの金属と結合させる方式(乾式水爆)のものがある。

リチウムと結合させる方式のものは、冷却装置が不要なため、液体水素の方式と比べると(リチウム方式は)比較的に小型である。

実際に冷戦中に抑止力兵器として多数生産されたのは、リチウムと結合させる方式のものである。

物理学的な解釈編集

水爆の爆破の引き起こす膨大なエネルギ-の理由としては、物理学的には、核融合であるためと考えられている。(ただし、起爆のためにウランなどによる核分裂反応も用いている。)

核分裂反応で発生する放射線と超高温、超高圧を利用して、水素の同位体の重水素三重水素(トリチウム)の核融合反応を誘発することで、莫大なエネルギーを放出させる原理であるとされている。

水爆の破壊力(核出力)が原爆をはるかに上回る理由も、ウランやプルトニウムを用いた原爆が核分裂反応である一方、水爆では高温による核融合反応(熱核反応)を起こすことが理由とされている。

なお、水爆の別の名称として、「熱核反応」と呼ばれる反応を用いることから、水爆は「熱核爆弾」や「熱核兵器」とも呼ばれる。

原爆は強力な兵器であるが、核分裂反応の性質上、ウラン235 (235U) やプルトニウム239 (239Pu) をどんなに増やしても、最大でも広島・長崎級原爆 [注釈 1] の10倍程度に留まる爆発エネルギーしか得られない [1]。 それに対して、熱核反応(核融合反応)はそれを起こす物質を追加すればいくらでもエネルギーを増加させることができると考えられている。

なお、中性子爆弾3F爆弾も水爆の一形態として分類することがある。

核融合反応による核出力の効率化は水爆1 tあたりTNT換算6メガトン (Mt) が理論上の限界であり、実際には起爆装置の原子爆弾などの重量も含まれるため効率はさらに低下するが、今のところ水素爆弾の威力の上限に限界は存在しないと考えられている。

開発の歴史編集

国家による開発の経緯編集

 
米国の水爆実験アイビーマイク

第二次世界大戦末期のころ、二重水素三重水素の熱核反応(D-T反応、D-D反応)を利用することで、広島・長崎級原爆の数十倍 -数百倍の爆発エネルギーを持たせた核兵器が開発できると見込まれていた。

そして第二次世界大戦末期のマンハッタン計画後、アメリカ合衆国でエドワード・テラースタニスワフ・ウラムらによって開発が進められ、1952年11月1日エニウェトク環礁で人類初の水爆実験、アイビー作戦 (Operation Ivy) が実施された。この作戦で米国はマイク (Mike) というコードネームで呼ばれる水爆の爆発実験に成功した。マイクの核出力は10.4メガトン (Mt) [注釈 2]であったが、常温常圧(例えば25℃、1気圧)では気体である重水素や三重水素を零下200度以下に冷却液化しなければならないため、そうした大規模な装置類の付属により、重量は65トンに及び、実用兵器には程遠いものであった[注釈 3]


第二次大戦中にアメリカは原爆開発技術を独占していたが、戦後はソ連も原爆保有国となった。アメリカはソ連に対抗するため、トルーマン大統領によって水素爆弾 (hydrogen bomb) の開発・製造命令を下した。

なお、この当時のアメリカ合衆国の水爆は、水素の濃縮のために液体の重水素を用いており、液化のため温度-260℃に冷却するための装置が付属したため巨大で実用化には至らなかった。

しかしソ連が重水素化リチウム (LiD) を用いることにより[2]、ソ連は1953年に実用化に至った[注釈 4]

詳細には、その1953年、ソビエト連邦が重水素などの熱核材料をリチウムと化合させて重水素化リチウム(固体)として用いた水爆の実験 (RDS-6) に成功した(一説には、当時のソ連のものは実は水爆ではなかったとも言われている)。リチウム方式では大掛かりな付属装置が不要なため水爆を小型軽量化できた。

その後、米国でも熱核材料をリチウムで固体化した水爆を完成した。1954年キャッスル作戦 (Operation Castle) が実施された。作戦の一つ、大幅な小型化を試みたブラボー (Bravo) 実験の成功により、小型化の成功が確認された。

さらに米ソ両国で核実験が続けられ1955年から1956年には爆撃機にも搭載可能になり核兵器における威力対重量比が格段に増大する結果となった。いわゆるメガトン級核兵器の登場である。中華人民共和国1967年6月17日に3.3メガトン (Mt) の最初の水爆実験に成功している。1976年11月17日には4メガトン (Mt) の実験に成功している。この後中国では重水生産工場の運転が開始されている。

2016年1月6日には、朝鮮民主主義人民共和国が4回目の核実験で水素爆弾の実験に初めて成功したと発表した。



その他の歴史編集

水爆による被害編集

1952年のアイビー作戦による実験以降、水爆が戦争において使用された例はない。しかし、第二次世界大戦後、世界各地で大規模な核実験(水爆実験)が数多く行われ、偶発的に遭遇した第三者や環境への被害が広がった。その代表的な事件として、1954年3月1日ビキニ環礁で行なわれた前述のキャッスルブラボー実験の際に、日本の第五福竜丸を含む漁船数百隻が被曝したものがある。

1963年に調印された部分的核実験禁止条約 (PTBT) によって、水爆を含め大気圏・宇宙空間・水中での核実験は禁止されたが、以後もPTBTで禁止されなかった地下核実験はたびたび行なわれた。1996年には地下核実験禁止を含む包括的核実験禁止条約 (CTBT) が国連で採択されたが、2016年現在も発効しておらず、未批准国などによる核実験も行われている。

史上最大の水素爆弾編集

歴史上最大の威力の水爆は旧ソビエト連邦のRDS-220「ツァーリ・ボンバ」と呼ばれるもので50メガトン(Mt ; 広島型原爆の約3,300倍、第二次世界大戦で使用された全爆薬の10倍)の核出力を誇った(本来の設計上は100 Mtを超えていたが、自国の環境に配慮して威力を抑えたといわれている)。この爆弾は長さ8 m、直径2 m、重さ27 tと巨大な物で、専用改修を受けたTu-95爆撃機に搭載され、1961年10月30日ノヴァヤゼムリャ島の上空約4,000 mで炸裂した。爆発による衝撃波が地球を3周したことが観測されたということからも、その威力の大きさが窺える。

この爆弾は米ソ間の軍拡競争の産物であり、実際には量産されなかった。また爆弾自体も大きすぎたために実用的でなかったことから、実戦配備することよりむしろ、西側への威嚇および水爆実験が主な目的であった。

綺麗な水爆編集

原爆を起爆剤に使用しない純粋水爆、いわゆる「きれいな水爆」の研究が1952年からアメリカ合衆国で行われたが、1992年に米国は純粋水爆の開発を事実上断念し、研究データを公開した。これは起爆に原爆を使用しないため、核分裂反応による放射性降下物(フォールアウト)が生成されず、残留放射能が格段に減るという仕組みである。但し、起爆時の核反応でα, β, γおよび中性子線などの放射線、核融合やその燃え残りで生じた水素などの放射性同位体は少なからず放出される。2015年現在、米国ローレンス・リバモア国立研究所にある実験施設「国立点火施設」でレーザーによる核融合が、またロシアの核研究施設アルザマス16では磁場による核融合(Z-ピンチ方式)がそれぞれ研究されているが、2016年時点ではこの種の兵器の開発は成功していない。

まとめ編集

第二次世界大戦後から現在に至る原爆開発競争に参加した国の中でも、水素爆弾を兵器として実用化したのは国際連合常任理事国であるアメリカ合衆国と旧ソビエト連邦(ソ連、現ロシア)、イギリスフランス中華人民共和国のみであるが、2016年になって朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が開発に成功したと主張している[3]

原理の詳細編集

爆弾の構造の推測編集

 
エドワード・テラー (Edward Teller) とスタニスワフ・ウラム (Stanislaw Ulam) が水爆の基本的設計を行なった。その時の設計がテラー・ウラム型 (Teller–Ulam configuration) として今も標準的な水爆の基本設計とされている。まず、図の上部の核分裂爆弾=原爆を爆発させ、その高温高圧を利用して図の下部の水素リチウム核物質に核融合反応を起こさせる。核融合反応を足すことで核分裂反応に比べて1桁〜3桁ほど大きなエネルギーが取り出せる。

水爆の構造は重要な軍事機密であるため公表されていないが、以下のようであろうと推測されている。

形状と配置編集

一端が丸い円筒形や回転楕円体をした弾殻内の丸い側や焦点に核分裂爆弾、つまり原子爆弾が置かれる。円筒部分か、もう一方の焦点には、外層に圧縮材としてのウラン238 (238U) 、中間層に主役の核融合物質としての重水素化リチウム、中心に更なる熱源としてのプルトニウム239 (239Pu) よりなる3層の物質が置かれる。弾殻は放射線の反射材として機能させるために、ベリリウム (Be) 、ウラン、タングステン (W) などが使用され、特にこの部分に238Uやウラン235 (235U) を分厚く使用したものが3F爆弾と呼ばれるさらに発生エネルギーを高めた核爆弾である。核融合部分と弾殻の間はポリスチレン等が詰められる。

爆破の過程編集

第1段階: 原子爆弾の起爆と核分裂による放射編集

原子爆弾が起爆されると、その核反応により放出された強力なX線ガンマ線中性子線が直接に、または弾殻の球面に反射して、もう一方の核融合部分に照射される。照射されたX線は核融合物質周辺のスチレン重合体などを瞬時にプラズマ化させ、高温高圧となって円筒部の中心に位置する3層の核融合部分を圧縮する。ウラン238 (238U) が促進効果で核融合物質としての重水素化リチウムを中心へ圧縮すると同時に中心軸のプルトニウム239 (239Pu) がガンマ線と中性子線の照射を受ける。239Puが核分裂反応を起こすことで中心部からも重水素化リチウムを圧縮する。

第2段階: 核融合の開始編集

超高温超高密度に圧縮された重水素化リチウムはやがてローソン条件英語版を満たし、核融合反応を起こす。

第3段階: 水素爆弾の爆発編集

核融合によって放たれた高速中性子がウラン合金製のタンパーに到達し、核分裂を開始させる。このプロセスを最後にケーシングは完全に消滅し、核爆発となる。通常水爆の核出力の大部分はこの核分裂のエネルギーによって得られる。

核反応物質編集

核融合爆弾の主なエネルギー源となるのは重水素と三重水素である。重水素は自然界の水の中に5000分の1の割合で含まれており抽出が比較的容易であり、三重水素の原料となるリチウムも入手が容易である。

一般的な水爆では、

前半: 起爆薬としての原爆により高温高圧の環境を作り、中性子によるウランの反応も関与して、
後半: 重水素とリチウムの混合物の核融合を導く、

という2段階の現象が起きている。この水素爆弾で使われる核融合物質は熱核材料と呼ばれる。

なお、重水素と共に用いられるリチウムが、原爆から発生する中性子により三重水素に核種変化するので、重水素化リチウムを使用した水爆では三重水素は不要になると考えられている。

また、リチウムの原子核に中性子を当てるとヘリウム4 (4He) と三重水素の原子核が形成される。

核反応の疑問点編集

原爆から発したX線は光速度で熱核材料に達して加熱圧縮するので、中性子の到達までに核融合が始まってしまってリチウムが三重水素に変化する時間がないのではないかという考えがある。加熱圧縮の材料に密度の極めて低いスチレン重合体を使う点に答えがあるかもしれない。あるいは、原爆からの中性子ではなく融合燃料の慣性圧縮から生じるD-D反応より生成した中性子を元にD-T反応が誘発されるので、融合燃料の点火自体には三重水素は不要ではないかという意見もあり真相ははっきりしていない。


脚注編集

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注釈編集

  1. ^ TNT火薬で換算して約20キロトン (kt) 相当爆発エネルギーを発生させる原子爆弾を、広島・長崎級原爆と呼ぶ。また特に、軍事関連では標準原爆とも呼ばれる。長崎(1998) p.37
  2. ^ 1メガトン (Mt) は1,000キロトン (kt) 、つまり百万 t分のTNT爆薬が爆発したときに発するエネルギーに相当する核出力を意味する。広島に投下された原爆の出力は15 kt、長崎のそれは20 ktであった。
  3. ^ 気体のままでは密度が低く、核融合反応が起きない。
  4. ^ 二重水素化リチウムは常温で固体であることから、液体重水素を用いる湿式水爆に対比して乾式水爆とも呼ばれていた。

出典編集

  1. ^ 武谷著作集3 p.276
  2. ^ 松本利秋『兵器と軍事の謎と不思議』、東京堂出版、平成20(2008年)年7月30日 初版印刷、平成20(2008年)年8月10日 初版発行、97ページ
  3. ^ 北、「水爆実験を実施」と発表…朝鮮中央テレビ 読売新聞2016年01月06日 13時55分

参考文献編集

  • 武谷三男『原水爆実験』岩波書店〈岩波新書〉、1957年。
  • 長崎正幸『核問題入門 歴史から本質を探る』勁草書房、1998年。
  • 武谷三男『戦争と科学』3〈武谷三男著作集〉、1968年11月。

関連項目編集