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水野 勝剛(みずの かつかた)は、下総結城藩の第6代藩主。水野宗家11代。

 
水野勝剛
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦10年4月1日1760年5月15日
死没 天保5年3月12日1834年4月20日
改名 中川久徴(初名)→水野勝剛
戒名 賢章院文隆英淳
墓所 東京都港区三田の常林寺
官位 従五位下、日向守、摂津
幕府 江戸幕府日光祭礼奉行
主君 徳川家治家斉
下総国結城藩
氏族 中川氏水野氏
父母 父:中川久貞、母:小池氏
養父:水野勝起
兄弟 中川久賢、的丸、中川久徳勝剛松平忠明
正室:なし
側室:板東氏、久保氏、山本氏
勝愛勝敬(次男)、娘(須田茂興室)、娘(加藤威直室)
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生涯編集

宝暦10年(1760年)4月1日、豊後岡藩主・中川久貞三男として江戸芝の新橋藩邸で生まれる。初名は中川久徴天明3年(1783年)、第5代結城藩主の水野勝起が死去したため、その養嗣子として家督を継ぎ、12月18日に従五位下、日向守に叙位・任官する。日光祭礼奉行を務めた。寛政12年(1800年)閏4月9日、病気を理由に長男の勝愛に家督を譲って隠居した。

天保5年(1834年)3月12日に千駄谷邸で死去した。享年75。