永井 頴雄(ながい ひずお、1860年万延元年3月[1][2]) - 1908年明治41年)5月29日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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備後国甲奴郡本郷村(のち広島県双三郡甲奴村を経て甲奴町、現・三次市)生まれ[1]広島県会議員となる[1][2]

1892年第2回衆議院議員総選挙において広島9区から自由党公認で立候補したが落選[3]1894年3月の第3回衆議院議員総選挙に再び立候補したが次点で落選[4]。同年9月の第4回衆議院議員総選挙で当選した[5]。衆議院議員を1期務め、1898年第5回衆議院議員総選挙は不出馬。1908年に死去した。

脚注

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  1. ^ a b c 衆議院 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年、328頁。NDLJP:1278238 
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』463頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』11頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』16頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』22頁。

参考文献

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  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。