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池田 仲澄(いけだ なかすみ、慶安3年10月11日1650年11月4日) - 享保7年6月2日1722年7月14日))は、因幡国鹿奴藩初代藩主。

鳥取藩主・池田光仲の次男。母は徳川頼宣の娘・因幡姫(芳心院)。正室は水戸支流松平頼隆の娘・兼子。子に吉泰(長男)、仲央(次男)、澄古(三男)、定賢(四男)、柳生矩美(五男)らがいる。幼名は長吉、初名は仲時。官位従五位下壱岐守。徳川吉宗の従兄弟でもある。

貞享2年(1685年)、父・光仲から新田2万5000石を分与され、鹿奴藩を立藩する。その後、元禄15年(1702年)新田5000石を再分与されている。居所を鳥取に置き、東館と通称された。元禄16年(1703年)に隠居し、家督を次男の仲央に譲った。享保7年(1722年)、73歳で死去した。法名は成徳院健岩道享。

系譜編集

徳川家康は曽祖父に[1]仁孝天皇来孫に当たる[2]

脚注編集

  1. ^ 頼宣は家康の十男
  2. ^ 仲澄-仲央-仲庸-数計子(勧修寺経逸室)-婧子光格天皇典侍)-仁孝天皇