法華津本城(ほけづほんじょう)は、愛媛県宇和島市にあった日本の城山城)。宇和島市指定史跡[1]

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法華津本城
愛媛県
別名 法華津城
築城主 法華津氏
築城年 南北朝時代?
主な城主 法華津前延(秋延)
廃城年 不明
遺構 曲輪石垣
指定文化財 宇和島市指定史跡
位置 北緯33度18分48.66秒 東経132度31分19.04秒 / 北緯33.3135167度 東経132.5219556度 / 33.3135167; 132.5219556
地図
法華津本城の位置(愛媛県内)
法華津本城
法華津本城
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概要 編集

法花津湾に突出した標高43.5メートルの丘陵上に位置し、三方は絶壁で途中に3段の石垣が築かれていた。法華津氏(清家氏)が犬尾城から移した同氏の本城であり、当城を囲むように存在した6つの砦(新城、鍋蔵城、今城、高森城、福之森城、吉岡山城)と合わせて法華津七城と呼ばれた[1]

領地として高四千四十余石を領する。

当城は南北朝時代に築かれたともいわれ、伊予西園寺氏を守る重要拠点となった。築城年代については今治市大三島町宮浦東円坊の『東円坊大般若経奥書』に、応永28年(1421年)に「法華津在城」とあることから、15世紀初頭頃とする意見もある[1]

天文(1532年-1555年)から永禄年間(1558年-1570年)にかけて大友氏の水軍により侵攻を受け、法華津前延らは宇和海の水軍を率いてこれを迎撃した。また、土佐一条氏を助けて長宗我部氏と対峙した時期もあった。天正13年(1585年)に四国の役が行われ、前延は降伏して小早川隆景の下で九州征伐に従軍した。その後、筑紫国に去ったともいう。

1974年(昭和49年)3月1日に当時の吉田町により指定史跡となった。現在は宇和島市指定史跡。

脚注 編集

  1. ^ a b c 「市指定 法華津本城跡」宇和島市公式HP

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集