浅田長平
浅田 長平(あさだ ちょうへい、1887年4月15日[1] - 1970年10月21日)は、日本の実業家。神戸製鋼所社長を務め、「神鋼中興の祖」と呼ばれた[2]。
経歴・人物
編集大阪府堺市出身[1]。1911年に京都帝国大学理工科大学採鉱冶金科を卒業し、神戸製鋼所に入社した[1]。取締役、製鉄部長、常務、専務を経て、1945年9月に社長に就任した[1]。しかし、1946年12月に公職追放により辞任[1]。1952年11月に社長として復帰し、1958年1月から1965年3月までに会長を務めた[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 興信データ株式會社『人事興信録 第23版 上』興信データ、1966年。
外部リンク
編集- 浅田長平伝 [1]