渡辺右文
渡辺 右文(わたなべ うぶん、1888年(明治21年)3月8日[1] - 1943年(昭和18年)7月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
渡辺 右文 | |
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生誕 |
1888年3月8日 日本 熊本県 |
死没 | 1943年7月28日(55歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1909年 - 1940年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1888年(明治21年)に熊本県で生まれた[1]。陸軍士官学校第21期、陸軍大学校第29期(優等)卒業[1]。スイス駐在を経て[2]、1932年(昭和7年)12月に陸軍砲兵大佐に進級し[2]、1933年(昭和8年)8月に参謀本部運輸課長に就任し[2]、1935年(昭和10年)8月に高射砲第1連隊長に転じた[2]。
1937年(昭和12年)8月2日に陸軍少将に進級し[2]、参謀本部附を経て[1]、10月30日に参謀本部第3部長に就任[1]。1939年(昭和14年)10月に陸軍中将に進級し[2]、1940年(昭和15年)3月9日に第15師団長(第13軍)に親補され[1]、日中戦争に出動[1]。南京警備のため蕪湖に駐屯し[1]、討伐戦、清郷工作を行った[1]。5月28日に東部軍司令部附となり[1]、12月3日に予備役に編入された[1]。
栄典
編集- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[3]
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。