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源 庶明(みなもと の もろあきら/もろあき)は、平安時代前期から中期にかけての公卿歌人宇多天皇の第3皇子、兵部卿斉世親王の三男。

 
源庶明
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 延喜3年(903年
死没 天暦9年5月20日955年6月12日
別名 広幡中納言
官位 従三位中納言
主君 醍醐天皇朱雀天皇村上天皇
氏族 宇多源氏
父母 父:斉世親王、母:橘公廉娘
兄弟 庶明英明
計子
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経歴編集

延長2年(924年従四位下に叙されて、昇殿を聴され、翌延長3年(925年侍従に任ぜられる。延長7年(929年左京大夫に転じる。

承平3年(933年右兵衛督、承平6年(936年)従四位上に叙任されたのち、天慶4年12月(942年1月)に参議に任ぜられ公卿に列す。議政官として左京大夫左兵衛督左大弁などを兼任し、この間の天慶8年(945年)には正四位下に叙せられている。

村上朝の天暦5年(951年)に従三位権中納言、天暦7年(953年)には中納言に至る。天暦9年(955年)5月20日に薨去。享年53。

人物編集

天慶2年(939年)11月3日『慈覚大師伝』を弟・英明延暦寺に進呈した際に、庶明は成立経緯を記した跋文を書いた[1]。勅撰歌人として、『後撰和歌集』に4首が入集している。

広幡邸を邸宅とし[2]広幡中納言と号した。

官歴編集

※以下、『公卿補任』の記載に従う。

  • 延長2年
    • 正月7日(924年2月14日):無位より従四位下初叙
    • 7月9日(924年8月12日):昇殿を聴す。
  • 延長3年
    • 正月30日(925年2月25日):侍従に任ず。
    • 11月20日(925年12月8日):賀茂臨時祭祭使を務む。
  • 延長7年9月23日(929年10月28日):左京大夫に任ず。
  • 承平3年10月23日(933年11月13日)或いは10月24日(933年11月14日):右兵衛督に任ず。
  • 承平5年2月23日(935年3月30日):丹波権守に任ず。
  • 承平6年正月7日(936年2月2日):従四位上に任ず。
  • 天慶4年12月18日(942年1月7日):参議に任ず。左京大夫を兼ぬ。督を止む。
  • 天慶5年
    • 3月29日(942年4月17日):左兵衛督を兼ぬ。
    • 12月13日(943年1月21日):紀伊権守を兼ぬ。
  • 天慶8年正月7日(945年2月21日):正四位下に叙す。
  • 天慶9年(946年):紀伊権守を止む。
  • 天暦元年6月6日(947年6月26日):左大弁に兼ぬ。督を止む。
  • 天暦2年正月30日(948年3月13日):伊予権守を兼ぬ。
  • 天暦5年正月30日(951年3月10日):従三位に叙す。権中納言に転ず。
  • 天暦7年9月25日(953年11月4日):中納言に転ず。左兵衛督を兼ぬ。
  • 天暦9年5月20日(955年6月12日):薨去。享年53。

系譜編集

脚注編集

  1. ^ 慈覚大師伝』跋文
  2. ^ 続古事談』五

参考文献編集

  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年
軍職
先代:
藤原師尹
左兵衛督
953 - 955
次代:
源重信
先代:
藤原顕忠
左兵衛督
942 - 947
次代:
藤原師尹
先代:
橘公頼
右兵衛督
933 - 941
次代:
源自明